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2011.12.13

【特集】4年前のレスリング再現へ…男子フリースタイル60kg級・高塚紀行(自衛隊)

(文=保高幸子)

 男子フリースタイル60kg級は9月の世界選手権(トルコ)で湯元健一(ALSOK)が銅メダルを獲得。同級の五輪出場枠を獲得した。日本協会の規定で、今度の全日本選手権(同級は23日実施)で湯元が優勝すれば、湯元が代表に決定する。その阻止を狙う選手は多いが、最も因縁のある選手は高塚紀行(自衛隊=右写真)だ。

■北京五輪の中継は見なかった!

 高塚は2006年世界選手権で銅メダルを獲得し、北京五輪前年の2007年全日本選手権で優勝。五輪へ一番近い位置に立つことができた。しかし翌春、正代表として出場した2度の五輪予選で力を発揮できず、最後の予選には控えの湯元健一(当時日体大助手)が出場して五輪枠を獲得した。

 王者の特権で湯元との代表決定プレーオフに出場した高塚だが、0-2(0-1=2:02,0-1)というわずかの差で敗れ、五輪出場を逃した。北京五輪の時は日大の合宿中で、十日町の合宿所で迎えた。「ちょうど食事中にテレビでやっていたので、みんなは見ていましたが、自分は見たくなくて、見ませんでした」。湯元がメダルを獲得した映像を見たのは、ずいぶん後のことだったという。
 
 2010年春に自衛隊に入隊し、学生の指導から解放されて選手としてやるべき事だけに専念できるようになったが、全日本レベルの大会3度連続で2位に甘んじた。けがが続いたことも原因の一つだった。2010年は全日本選抜選手権の前日に肉離れをおこし、満足に闘える状況ではなかった。万全の準備で迎えるはずだった今年4月の全日本選抜選手権は、またしても3日前に右足に疲労骨折を負ってしまう。準決勝で石田智嗣(早大)に敗れ3位に終わった。

五輪出場を目指して練習する高塚

■今年5月のアジア選手権で潜在能力を再確認

 今年10月の山口国体では前田に敗れた。「調子が良かったので過信して動いてしまいました」と反省する。「全日本合宿の練習試合で2度勝っていた。練習試合ではできていたシミュレーションができず、何も考えずに闘ってしまったのが敗因だと思います」と振り返る。反省点はまだある。「試合の後、疲れていなかったんです。もっと攻められたのに、と思いました。ただ時間が過ぎた、という感じでした」-。以前はできていたことだった。

 この1年間、得るものもあった。今年5月のアジア選手権(ウズベキスタン)では、5位だったものの、「逆転で勝てたことはあまりなかったのが、残り30秒でポイントを取ることができた。取り返せるんだ、と再確認できました」と言う。

 「自分の良さが出るのは1分半すぎ。相手が耐えられなくなるまで攻め続けるのがベストです。そこまで自分の気持ちを持っていく必要があるのに、省エネを考えていたからよくなかったんだと思います。力を3等分するというかんじで考えていたんです」と反省点が明確になり、やるべきことを確認した。

 今は「1ピリオドごとに力出し切って30秒でリカバリー」を3回やり切る練習に力を入れている。「米満達弘(世界選手権66kg級2位)や同じくらいの階級の選手も多いですし、井上謙二コーチや山本英典コーチが練習に全力で付き合ってくれます。感謝の気持ちでいっぱいです。4年前と比べて落ちた気は全くしない。全盛期と思えます」と自信を見せた。

■4年前の攻めて、攻めて、攻めるレスリングを再現する!

2007年全日本選手権で優勝し、北京五輪へ向けて前進した時の高塚

 4年前に五輪出場一歩手前まで行った高塚には五輪のメダルへの強い思いがある。「大沢先生(友博=霞ヶ浦高監督)や富山先生(英明=日本大学監督)からは、今もかわいがってもらっています。負けている時も連絡をくれて激励してくれます。落ちている時に声をかけてくれる先生を大事にしたいです」と表情が引き締まる。

 「優勝しなくてはならないというのは、湯元選手にもプレッシャーなはず。北京の時よりも代表決定までの段階が多いのですが、勝ち抜くのは自分だ、という気持ちです。北京の前にはやりませんでしたが、一人一人を研究しているし、4年前とは違う自分です」と抱負を語った。

 湯元の五輪出場枠獲得により、全日本選手権は本当に負けられない闘いになった。北京五輪への挑戦から4年。苦しんだ年月を乗り越え、今回こそはと燃える高塚が湯元にリベンジを果たすことができるか。世界選手権でメダルを獲った頃の、攻めて、攻めて、攻めまくる高塚のレスリングがさく裂することは間違いない。

高塚紀行(たかつか・のりゆき)=自衛隊
 1985年4月28日、大阪府生まれ、26歳。茨城・霞ヶ浦高~日大卒。1991~97年に全国少年選手権を7年連続優勝。99・00年に全国中学生選手権を連覇。茨城・霞ヶ浦高では03年には高校四冠王(全国高校選抜大会、JOC杯ジュニア、インターハイ、国体)に輝いた。日大では04年に全日本大学選手権で大会史上13人目の1年生王者へ。06年世界選手権で銅メダルを獲得。10年春に自衛隊へ進み、コンスタントに全日本の上位を確保している。163cm。

 







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