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【特集】東日本学生新人選手権Bグループの風景(上)…東京大学

(文・撮影=樋口郁夫)

 東日本学生新人選手権のフリースタイルには、「Bグループ」というカテゴリーがある。大学に進学してからレスリングを始めた選手、または高校時代に全国大会に出場経験のない選手によるトーナメントだ。

 キッズ・レスリング全盛の現在、大学に入ってからレスリングを始めた選手が、1~2年間のうちに、キッズ時代からレスリングに親しみ大学に進んでからもレスリングを続ける選手に勝つことは、不可能に近い。そんな選手にもメダルを目指して大会に出場してもらおうと、20数年前にスタートし現在まで続いている。

 昨年からは、Bグループの優勝選手にも学生選抜チームの韓国合宿に参加できる“ご褒美”がついた。実力的には、Bグループの優勝選手よりAグループのベスト8やベスト16、もしかしたら1回戦負けの選手の方が上かもしれない。

 それであっても、東日本学生連盟は底辺の普及と発展のため、Bグループの優勝選手にも“チャンピオン”としての敬意を示し、海外へ派遣する。Bグループに参加する常連には、東大や慶大という政界や実業界で一大勢力となっている大学もある。

 レスリングのOB、しかも“チャンピオン経験者”が社会で台頭するのも、レスリングの発展に必要な要素。これまでレスリングの社会的ステータスが低かったのは、その面で劣っていたからとも考えられる。

 6月12~14日に東京・駒沢体育館で行われた東日本学生春季新人選手権で、Bグループで闘う東大と国際武道大の選手を追った。


 棄権が1人いて、3選手で争われたBグループ84kg級。この4月からレスリングを始め、キャリア2ヶ月という東大1年生の稲田勲保(教養学部理科一類)は、2戦2敗という結果で最下位に終わった。闘った2試合は、ともに0-8のテクニカルフォール負け。キャリアが浅いとは言え、この世界に入ったからには負ければ悔しい。「ポイントも取れないで負けてしまって悔しい。課題が多いです」と振り返った。

 偏差値75、東大進学者が20人という年もある進学校、長崎・青雲高時代までスポーツの経験はない。高校時代に勉強に打ち込んだ人間が、受験勉強から解放されてスポーツに汗を流すことはよくあるパターンだが、レスリングという厳しい道を選ぶ人間は珍しい。「何となく…、いえ、少し興味がありました。新勧(新入生勧誘会)で声をかけられて」というのが、レスリングの道に入ったきっかけ。格闘技ではK-1をよく見ていたそうで、「自分を鍛えてみたい」という理由もあったという。

 スポーツ歴なしとはいえ、腕は太く、見るからにパワーがありそう。これは「生まれつきです」とのこと。このパワーを生かすのは、「打撃格闘技ではなく、レスリングだと思った」という。

 「プロレスのイメージもありましたけど、危ない技はなく、安全な格闘技だと思いました。健康的なスポーツという印象を持ちました」というのが、実際にレスリングをやってみた感想だ。

 5月に大田区の大会に出ているので、この新人選手権は2大会目。大田区大会でも勝っておらず、不戦勝を別にすれば未勝利。初白星を挙げることが今の目標だ。「まだ84kg級の体重じゃない。筋肉をつけて闘えるだけのパワーをつけ、弱点のスタミナをつけたい」と話すとともに、「勉強とも両立させていきたい」とは、さすがに東大生。

■山崎哲也主将は昨秋の新人選手権のチャンピオン

山崎哲也主将

 セコンドについていたのは、5月の東日本学生リーグ戦のあと主将を受け継いだ山崎哲也(愛知・旭丘高卒)。彼も大学へ進んでからレスリングを始めた選手で、高校時代までは野球をやっていた。「大学では別のスポーツをやりたい」と思い、いくつかのクラブを見て回り、一番やりがいを感じそうなレスリングを選んだという。

 格闘技は、さほど興味はなかったという。「楽しそうだから」というのがレスリングに引き付けられた理由。実際にやってみて、「一部リーグの選手には全然勝てませんけど、技が決まった時や勝った時、とても気持ちがいい。奥の深い面白いスポーツだと思いました」という。

 昨年の秋季新人選手権は、入学してから1年8ヶ月の努力が実り66kg級で優勝。「Bグループであっても、優勝すればうれしいです」と、この栄冠はさらに気持ちを高めてくれた。今の目標は「一部リーグの選手に勝つこと」ときっぱり。全日本学生選手権や東京六大学で独自にやっているリーグ戦がその機会となるが、「卒業するまで、しっかりとやり切りたい」と話した。

■40年前に産声をあげた東大レスリング部

 東大レスリング部は、1973年に根本忠佳氏が創部。TBSに勤務していた東京レスリングクラブで汗を流していた向井爽也さん(日本有数の洋画家、向井潤吉氏の長男=2005年ご逝去)を監督に迎えてスタートした。TBSディレクターの顔で、スタート時には人気絶頂の女子プロレスラー、マッハ文朱さんとの公開練習を行ったりもした。

 1975年にリーグ戦の三部リーグに初登場。部員不足で不参加だった年もあるが、1973年と83年には三部リーグで優勝。リーグ形式が変わった93年には二部Bグループで優勝という成績もある。

 「部員が集まらなくて廃部の危機もあったと聞いていますが、何とか続けていきたいです」と山崎主将。練習は東京・駒場のキャンパスにある柔道場の上にマットをしいてやるため、週2回しかできたない。しかし「他大学へ練習に行く選手もいます。慶応大学、東海大学、社会人クラブの久我山クラブ…。練習の時に来て指導してくれるOBもいます。頑張っていきたい」と目標を強く持つ。

 スポーツの世界は、選手時代の実績が大きくものを言う世界。そのため、東大レスリング部のOBがレスリング界で大手を振って歩いたことはない。しかし、政財界で重責をになっている人は少なくない。1979年に東大を卒業した第3代主将の長谷川晋さんは、外務省へ進んで外務事務官として活躍。語学研修でフランスに滞在していた時(1980~81年)には地元の大会に出場するとともに、女子の試合を見ている。日本における“女子レスリングの祖”福田富昭会長が女子レスリングの存在を知る前のことだ。

 貴重な人材は多い。マット外でのパワーをレスリング界に還元し、レスリングの発展に寄与してほしいものだ。新人選手権のBグループは、レスリング界の“財産”を育成する場でもある-。

東大レスリング部ホームページ


 

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