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2013.08.13

【インターハイ・特集】先天的な病気を乗り越え、団体優勝&個人2位…高橋拓也(霞ヶ浦)

(文・撮影=増渕由気子)

 霞ヶ浦(茨城)の劇的な大逆転優勝で幕を閉じた今年の長崎インターハイ。その霞ヶ浦の1番手として学校対抗戦の先陣を切り、前半の個人戦でも男子55kg級で準優勝を飾ったのが高橋拓也だ。

 「優勝が当たりまえ」という選手も多い霞ヶ浦では、優勝しても笑顔なしの選手も少なくない。大会を終えた高橋拓也は満面の笑顔だった。「個人戦の決勝は負けてしまいましたが、団体優勝と個人準優勝という結果だったので満足しています」-。

■高校進学後、生まれつきの病気で練習に支障

 高校レスリング界では有名な選手だ。中学時代の2010年にJOC杯カデット・フリースタイル42㎏級優勝の実績に加えて、2009~11年のインターハイで史上3人目の3連覇を達成した高橋侑希(三重・いなべ総合=現山梨学院大)の実弟だからだ。高橋が優勝したJOC杯は兄弟で優勝したことでも話題になった。

 兄のように強くなるため、高校はレスリング界の雄・霞ヶ浦に国内留学。親元を離れて、寮生活を送っていた。その頃からだった。股(こ)関節の病気で練習に支障が出始めたのは。

 「ペルテス病なのです。生まれつきで、中学時代から症状がありました」。中学時代は、負担をかけないように構えを右から左構えに修正するなどして乗り切ったが、成長期を迎えた高校時代は、それだけでは対応できなかった。

 長時間の追い込み練習は不可。マッサージやブロック注射などの体のケアが練習と同じくらい必須だった。その影響からか、高校時代に入って全国大会でのタイトルはなく、霞ヶ浦のメンバーとしても後輩の小林大樹が大事な試合で起用されることが多かった。

 「この病気は運動することがよくありません。無理をすると将来的に歩行困難になる可能性もあると言われていました」。この状況で、高橋は一つの覚悟を決めた。インターハイで引退すること。勝っても負けても長崎の試合が最後だ―。

 引退の覚悟、そして3年生の意地が本番でさく裂した。「練習から調子が良くて、負ける気がしなかった」と、準々決勝で全国高校選抜大会優勝の長谷川敏裕(東京・自由ヶ丘学園)をローリングの連続で12-9と撃破。勢いを持って、決勝で全国中学選手権3連覇で、いなべ総合に鳴り物入りで入学した成國大志と対決した。

■兄・侑希の達成できなかったインターハイ団体優勝をつかみ取る

 いなべ総合は、高橋が中学まで在籍していた「いなべクラブ」の母体。成國のセコンドに就いた藤波俊一監督は元恩師という関係だ。試合は、高橋が高速の片足タックルで最大5-1と大差をつけて成國からリードを奪っていた。残り30秒で逆転負けしたが、高橋にとって、全国大会レベルで初の2位。

 その躍進があって、後半の学校対抗戦でも起用され、2勝1敗と勝ち越してチームの優勝に貢献した。「兄と比べられることもあったけど、自分は自分と思ってやってきました。選抜王者の長谷川選手は2年生で、僕は3年生。最後のインターハイで、どうしても勝ちたいという気持ちがありました。3年の意地ですね」と高橋が振り返れば、大澤友博監督は「足の状況が思わしくなく、追い込んだ練習ができない中、よくここまでやった」とたたえた。

 「痛みがひどくて、泣いたこともありました。兄も含めて家族から『もう、辞めていいよ』と言われたこともありました。でも、こうやって優勝できて、霞ヶ浦に来てよかった。満足な高校生活でした」。

 ハンディがありながら、地道な努力で病気を乗り越えて団体優勝をつかみとった高橋。個人3連覇を達成した兄も達成できなかった栄光でもある。高橋が“侑希の弟”ではなく、“高橋拓也”として光り輝いた長崎インターハイだった。


 







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