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2016.04.29

【特集】重量級の第一人者・斎川哲克先生、2大会連続オリンピック出場なるか

(文=増渕由気子)

 リオデジャネイロ・オリンピックに向けた闘いが佳境を迎えている。3月のアジア予選(カザフスタン)から約1ヶ月後の4月22日、2012年ロンドン・オリンピックの男子グレコローマン96kg級代表の斎川哲克(栃木・足利工高教)は、モンゴル・ウランバートルでのオリンピック世界予選第1戦のマットに立っていた。

 目的はただ一つ、上位3位以内に入ってオリンピックの出場枠を獲るためだ。

 初戦は勝ったものの、2回戦で3大会連続オリンピック出場を目指すダイゴロ・ティモンチニ(イタリア)に1-2で惜敗。出場枠を獲得することはできなかった。

 斎川は「自分の課題はグラウンド。チャンスの場面もあったけれど返せなかった。また、自信を持って守れたら、試合の流れも違ってくるのかなと思った」と、課題を克服できなかったことを悔やんだ。斎川が夢をかなえるには、5月6日から始まる世界予選最終戦で決勝へ進出する(2位以内)以外に方法はなくなった。

■ロンドン・オリンピックで完全燃焼するはずが…

 4年前、初めてオリンピックの舞台を踏んだ斎川は、当初、ロンドンを現役生活の集大成と決めていた。軽量級とは逆で、日本の重量級は多くの選手が世界の壁にぶつかってきた。重量級の第一人者として闘い、ロンドンで夢が実現したのだから、最高の舞台で現役生活を終えたかったのだろう。

 だが、ロンドン・オリンピックは初戦敗退と消化不良で終わり、その後も両毛ヤクルト販売所属の企業選手として現役を続けた。2013年は世界選手権(ハンガリー)で5位に入賞し、両スタイルで最高成績を収めた。

 大学1年から斎川を見てきた全日本チームの松本慎吾コーチ(現日体大監督)は、「2013年の世界選手権、斎川は最後の大会だと思って臨んで5位になった。満足する自分とそうでない自分がいたようだ」と振り返る。事実、直後の東京国体に130kg級で出場し、揺れる心情を吐露した。

 翌2014年からは地元・栃木の足利工業高校の教師へ。全日本レベルの大会には出場し続ける一方、「本業は教師で、高校生の指導がメーン」と口にすることが多くなった。オリンピック後に結婚して家庭を持ち、新人教師として研修の日々。高校生にフリースタイルを教えながら自分の練習もやるという環境だ。高校生の大会では、セコンドに就いたり、審判をやったりと大忙しだ。

 日体大の道場で日本のトップ選手としのぎを削るような練習は積めない。それでも、斎川は現役を続ける選択をした。「ロンドンに出たことはまぐれではなく、本当に強かったんだ、って思ってもらいたい」と、ロンドンの借りはリオの舞台でしか返せないという気持ちで、2度目のオリンピックに挑戦してきた。

 環境を変えた2014年も国内では敵なし。秋の仁川アジア大会では銅メダルを獲得し、翌2015年のアジア選手権(カタール)でも3位になった。ロンドンの道のりと全く違う環境になっても、“世界で闘える重量級選手は斎川”と印象付けた。

■日本代表に復帰した斎川のために、職場も全面支援

 アジア選手権から1ヶ月後の全日本選抜選手権では腰痛のため途中棄権。その後、手術を受けて戦線離脱というアクシデントに見舞われたが、12月の全日本選手権では若手を寄せ付けず復活優勝した。

 松本コーチは「腰の違和感をごまかしながら続けることなく、思い切って手術した。リオに出たいという気持ちがあったからだと思う」と説明。全日本選手権、アジア予選、そしてモンゴルと3大会の斎川の様子を見て、「腰は思った以上に回復している」とお墨付きを与えた。

 それであっても、フィジカル面の低下は否めない。松本コーチは「長い間、斎川のことは見ているので、数値的にも実際にスパーリングをしても、体力は落ちていると思う。ロンドンを100すると、75くらい。オリンピックに行けるかどうかのボーダーラインだ」と話した。

 ボーダーラインの斎川を仕上げるには、レスリングをする時間が必要だった。ぜがひでも2大会連続オリンピックへという想いは、斎川の母校であり赴任先の足利工高の関係者も同じ気持ちだ。斎川が日本代表に復帰したことで、急きょ“斎川シフト”を組むことを決定。

 斎川は「昨年末から、僕の授業はすべて恩師の長島先生(偉之=1984年ロサンゼルス・オリンピック銀メダル)が担当してくれることになって、全日本合宿は全部参加できています。日本の代表として、練習を積まなければ試合に臨んではいけないと思った」と、トップギアでナショナルチームの練習に取り組んだ。

 全日本合宿がない時はひたすら基礎の反復練習を積み重ね、工夫して練習不足を補ってきた。できる練習はすべてやってきたという。

■最後の勝負は5月6日! イスタンブールで悲願なるか

 斎川の階級では、全日本2位の選手が引退したため、斎川が予選3大会すべてに出場することになった。トルコ・イスタンブールでの闘いがリオデジャネイロへの最後のチャンス。斎川は「ここまで短いスパンで試合をしたことはありません。でも大丈夫です。全力で準備して挑みます。体重も問題ありません」と、しっかりと前を見据えた。

 松本コーチも「スタンドはよくなったので、グラウンドのディフェンスをしっかりできればチャンスはある。状態も、アジア予選より今大会の方がよかった。ずっと見てきた選手だから」と、かつての練習パートナーであり、現役引退後は松本の後継者として日本重量級を支えてきた斎川のオリンピック出場を切望した。

 「現役は最後の年だと思っているので、思いつめずに開き直ってやります」。斎川先生、リオデジャネイロ・オリンピック出場なるか―。


 







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