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2017.08.02

【インターハイ・特集】和歌山からやってきた“2人のキャプテン”、井筒と山口、最後の夏の絆(千葉・日体大柏)

(文・撮影=増渕由気子)

 インターハイの学校対抗戦は、創部3年目で3度目の出場となった日体大(千葉)が、決勝戦で花咲徳栄(埼玉)を4-3で破って2年連続2度目の優勝を決めた。

 主力メンバーである50kg級の谷口龍我と55kg級の山口海輝が世界ジュニア選手権の代表を辞退し、日体大柏はベストメンバーで出場。初戦(2回戦)の自由ヶ丘学園(東京)から準決勝の沼津城北(静岡)までの4試合をすべてチームスコア7-0の快勝で決勝に進出し、力を見せつけた。

 決勝も50kg級から3連勝して流れを作り、66kg級は落としたが、74kg級の井筒勇人主将が勝って4勝目で中盤で勝負を決めた。

 強いチームが予定通りに勝った結果と思われるが、日体大柏のベンチはうれし涙にくれていた。大澤友博監督は「ほとんどのレギュラーがけがに苦しんだ。特に井筒主将は約1ヶ月間、練習ができなかった」と苦しい道のりを吐露した。

 井筒主将は「少し前まで松葉づえ生活だった。過去にも手首のけがで全国大会を欠場し、チームに迷惑をかけたことがあった。今回こそは絶対に治し、出場することだけを考えていました」と、チームファーストを貫いての出場だった。

 だがリードしていた第1ピリオドの終盤、再び足首をひねり、立っているのがやっとというピンチに陥った。「すごく痛かったけど、大声援で痛みが飛んで行った。残り3分、死んでもやり切ろうと思った」とリードを守り切り、大けがの中、奇跡の勝利を挙げた。

 負傷の井筒主将が練習不在の7月、現場のキャプテンを務めたのは、エースの山口海輝だった。井筒と山口は小学校3年の時から新宮ジュニアでレスリングに取組み、小・中学校と共にすごし、ともに新設された日体大柏に進学した。

■高校進学後に明暗が分かれたが、最後は心がひとつに

 中学では井筒が全国王者で山口は2位。高校に入ると成績は逆転する。山口は1年で国体王者となり、昨年はインターハイを制覇するなど個人タイトルは数知れない。一方、井筒は、1年生からチームのキャプテンを任され、チームと自身の管理を両立する生活が続いた。

 井筒は「自分の高校での個人戦の記録を見たら、何もなくて、主将を辞めて自分の強化に集中したいと何度も思っていました。僕じゃなくてもキャプテンはできる」と山口らをうらやましく思い、主将交代をうかがっていた時期もあった。

 しかし、「大澤先生(監督)から『3年間キャプテンをすることが、将来、社会に出て役に立つ』と言われ、やり遂げることができました。競技を鍛えるより、キャプテンをやって心が磨かれたような気がします。やってよかった」と振り返った。

 一方の山口は、「この数週間、現場キャプテンをやって、チームをまとめるということがとても大変なことだと分かりました。今まで自分のことしか考えてなかったので、勇人が大変だったんだなと気が付きました」と、3年に渡って主将を務めた井筒を思いやった。

 初優勝の時、大澤監督の胴上げはなかった。今回は井筒主将から「僕たちの最後のインターハイなので胴上げをさせてください」と伝え、大澤監督を3度胴上げした。「僕たちは日体大柏の第一期生。何の文化もルールもない中、大澤先生についてやってきました。だから最後のインターハイ、その喜びを分かち合いたかった」。

 「大事なのは心」という大澤先生の教えがシンクロした。井筒はチームのため、けがを押して出場、山口は井筒の代わりにチームを仕上げ、まとめた。一期生の集大成となった大会2連覇だった。

大澤監督から「3年間、よくやった」と労いの声をかけてもらって涙する井筒勇人主将

スタートダッシュを決めた50kg級の谷口龍我


 







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