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世界チャンピオン/女子(6)…山本美憂

 

山本美憂(やまもと・みゆう)=1991年世界選手権で初の世界一へ

【生年月日、出身】1974年8月4日、神奈川県出身

【身長】155cm

【所属】東京・朝日住建日体クラブ~東京・日体パンサーズ

【コーチ】木口宣昭、山本郁栄

【スポーツ歴】フィギュアスケート

【レスリング歴】1986年~95年、98年~99年、02年~03年、11年~16年

【全日本選手権成績】1987年=優勝、88年=優勝(以上44kg級)、89年=優勝、90年=優勝、91年=優勝(以上47kg級)、94年=優勝(50kg級)、95年=優勝(47kg級)、98年=3位、99年=優勝(46kg級)、2002年=5位(48kg級)、03年=3位、11年=二回戦敗退(以上48kg級)

【世界選手権成績】1991年=優勝(47kg級)、94年=優勝(50kg級)、95年=優勝(47kg級)、98年=2位(46kg級)

《全成績一覧》

  父・郁栄氏がミュンヘン五輪代表選手だったこともあり、13歳で第1回全日本女子選手権の優勝を果たしたデビュー当時からマスコミの脚光を浴びた。世界選手権は年齢制限のため1990年大会までは出場できなかったが、しっかりと実力を養成し、91年の東京開催の世界選手権で見事に優勝。周囲の期待に応えた。

 その後、米国留学、タレント活動などへも挑戦。レスリング活動をしばらく離れた時期もあったが、94年に日本一にカムバックし、世界選手権でも優勝。95年も世界一に輝くと、いったん引退。カムバックを期待する周囲の声に呼応するかのようにマットへ戻った。98年全日本女子選手権は3位に終わったが、プレーオフで日本代表の座を勝ち取り、3年ぶりに世界選手権へ出場し、銀メダルを獲得した。翌99年にはアジア選手権と全日本女子選手権に勝って実力を見せたが、その後、マットから離れた。

 しかし女子のアテネ五輪採用が決定し、2002年秋に再びマットへ。同年全日本女子選手権に出場し5位。03年はデーブ・シュルツ国際大会で2位入賞。「ジャパンクイーンズカップ」でも2位になったが、世界選手権代表は逃す。同年10月の女子ワールドカップに日本代表として出場した。

 2004年2月、アテネ五輪代表を逃したことで引退。2011年にロンドン五輪を目指して再度マットに戻ったが、悲願はならなかった。 その後、カナダに在住し、地元や米国の試合に出場。カナダ国籍を取得して2016年リオデジャネイロ・オリンピックを目指したが、国籍取得が間に合わず、夢ならなかった。


 
 

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