【アスタナ(カザフスタン)】女子で唯一五輪出場が決まっていなかった72kg級の出場枠を、浜口京子(ジャパンビバレッジ)が勝ち取った。前日の組み合わせ抽選で、強豪の中国とモンゴルが反対側のブロックに割り振られ、この段階で出場枠獲得はほぼ確実と思われた。
しかし、勝負の世界は何が起こるか分からない。五輪に向けて、勝ち方も問題にされる。ふたを開けてみると、1回戦と準決勝をフォールで勝つという内容。準決勝では、あまりにもあっさり勝負が決まったため、浜口は本当に勝ったのかどうか分からなそうな表情を見せたほどだ。
昨年の世界選手権で出場枠を逃して以来、苦しかった日々をおくった答えは、圧勝での五輪キップ獲得だった。
■人生を燃えられるのは、マットの上だけ
がむしゃらに五輪のマットを求めた過去2度の出場と違い、今回は「レスリングと向き合いながらの闘い」(浜口談)だった。北京五輪が終わった段階で30歳。休養して人生を見つめた。テレビのバラエティー番組からの出演依頼も多く、新たな人生の選択肢のひとつとして、できるだけこなしてきた。
当然、選手生活からの引退も脳裏をよぎった。五輪の金メダルは手にしていないが、世界選手権5度優勝ほか、あふれるような栄光を手にしていた。もうマットで闘うのはいい…。そんな思いも感じたことだろう。
だが、テレビ出演では燃えるものがなかった。マットの上でこそ熱く燃えられる。2009年8月には実戦のマットに戻り、その年末の全日本選手権では闘う姿の浜口があった。
2010年世界選手権では銅メダルと衰えていない実力を発揮した一方、五輪出場枠を逃し、沈んだ日々。最後の3ヶ月は「ずっと緊張感のある張りつめた毎日」。この後の人生では経験することがないであろう辛く、厳しい毎日だっただけに、最高の気持ちで3度目の五輪出場を迎えることができた。
父のアニマル浜口さんは「落ち着いていたね。世界選手権で出場枠を取れず、落ち込んでいました。女子でただ1階級出場枠を取れず、日本代表としての使命を果たせなかったという気持ちもあったと思う。そこからよく頑張ってくれた。よく心が折れなかった」と、ここ半年間の踏ん張りを褒めた。
続いて「1人だけオリンピックを決められず、悔しかったと思う。でも最後の全日本合宿では、監督やコーチだけではなく、日登美ちゃん(小原)ら選手も協力してくれたという。すべての人のパワーの結集です。本当に感謝しています」と話した。■5月のワールドカップで課題を試す
出場枠を取ったあとの北京五輪チャンピオンの王嬌(中国)との決勝は、自分のレスリングを見直す最高の機会となった。第1ピリオド、カウンターで2点を先制しながら、不意用にやってしまった1点によって、“ローリング地獄”を受けてしまい、失点を重ねた。第2ピリオドもローリングを受ける内容。ロンドン五輪までの課題が見つかった。
幸いにも5月26~27日に東京でワールドカップ(W杯)が開催され、最高で4試合の対外国選手の試合ができる。「今回の課題に取り組み、それを試してみたい」と浜口。W杯までの約2ヶ月、そしてロンドン五輪までの間にもやることは多い。それは、充実した時をおくれることでもある。
レスリングと向き合い、自分にとって必要との結論に達してつかみとった3度目の五輪。レスリング人生の総決算にふさわしい結果と内容を残してくれることだろう。