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2013.09.28

【特集】夢は教え子と同じ舞台に立つこと…沖山功審判員(香川・香川中央高教)が世界デビュー

(文=池田安佑美、撮影=保高幸子)

 ロンドン・オリンピックが終わり、2016年リオデジャネイロ・オリンピックに向けてのスタートを切った今年の世界選手権。日本チームは、男女で9人が初舞台を踏んだ。初めて大舞台に立ったのは、選手だけではない。沖山功審判員(香川・香川中央高教)が審判として世界選手権デビューを飾った。大会第1試合からCマットを任され、レフェリーとチェアマンをローテーションで担当した。

 沖山審判員は「自分がまさか世界選手権の舞台で審判をするようになるとは思っていなかった。びっくりしている」と恐縮しながら話す。それもそのはず、40歳で国際審判員の資格を取り、わずか7年でオリンピック審判へ。今回、世界選手権デビューを果たした。スピード出世に「自分の力だけでここまで来れなかった」と周りの支えがあったことを強調した。

■審判の判定に納得いかなかった日々

 沖山審判員は、高校レスリング界の雄・霞ヶ浦高出身。フリースタイル52kg級でオリンピック出場を目指し、1987年アジア選手権(インド)2位の実績を持つ選手だった。現役を引退し、国体の縁があって香川・高松北高に教員として就職。体育教員をしながら、レスリング部の顧問として指導にあたった。

 1998年に香川でインターハイが行われたことをきっかけに、スタッフとして必要だろうと審判のA級資格を取得したが、その資格を使うことはなかった。「当時、高松北はすでに強豪でインターハイにも出場しました。強化に忙しくて審判をやる時間もする気持ちもあまりありませんでした。試合は監督の立場からしか見れなくて、審判の判定に納得いかないことも多かったんです。もやもやすることばかりでした」。

 転機は39歳の時だった。「香川中央高に転勤になったんです。レスリング部はありましたが、高松北に比べたらまだまだのレベル。指導の時間に余裕ができたため、これを機会に審判を勉強しようと始めたのです」。香川は関東から離れているため、情報伝達に時差が出てくる。そのため、審判員としてレスリングの最新情報をいち早く得る目的もあった。

 審判を初めて、最新情報を得る以上に目からうろこだったことがある。「監督の立場から見るレスリングと、審判から見るのでは全然違うんですよ。高松北時代のずっと納得がいかなかった判定も、すぐに理解できました。微妙な判定で敗れた生徒にも、つじつまが合う説明、指導ができるようになりました」。

 -どうして勝ったか、なぜ負けたか-。これを明確に指導できるようになったため、香川中央高の生徒はめきめきと力をつけ、インターハイに出場するほどに。個人では鴨居正和(現山梨学院大)が全国高校選抜大会で優勝するなどチャンピオンも輩出。審判を初めてから、レスリングの指導も以前よりもうまくいくようになっていった。

■周囲がサポートしてくれたスピード出世

 「7年で世界選手権に来させていただきましたが、欲を出してつかんだものではないのです。職場の理解が大きかったんです」と沖山審判員は振り返る。39歳でA級を獲得すると、すぐに斎藤修日本協会審判委員長に国際審判員の資格を取るように勧められ、全国の大きい大会や国際大会に派遣の依頼が来るようになった。

 問題になるのが本業との両立だが、沖山氏にこの壁はなかった。「職場の主任の先生が日体大の先輩で、『世界で活躍できる要請を一度断ったら、二度とこなくなる。断ってはいけない。絶対に行くべき。その分の授業はこちらが引き受けるから』と背中を押してくれたのです」。遠征は、短くても1週間、長ければ10日以上になる。それでも学校側は応援体制を敷いてくれた。

 2007年のアジアカデット(台湾)で国際審判デビューを果たし、その後、プレジデントカップ(モンゴル)、アジア・ジュニア選手権(フィリピン)で昇給試験に合格。昨年の世界ジュニア選手権(タイ)に派遣され、ここでオリンピック審判員に合格した。

 7年間、一番大変だったことは、「同じルールで裁いたことがない」こと。近年の頻繁なルール改正に加えて今回の大改正。選手以上に正確なルールを知らなければならないだけに、大変な努力が必要だった。

■誰よりも間近でみた新ルールの世界選手権

 今大会は準決勝までのレフェリーとジャッジをこなした。「男子のフリースタイル55kg級で19-15というスコアがありまして、その試合のジャッジでした。チャレンジが2回もあり、すごく大変な試合でした。この試合は、翌朝のミーティングでもサンプルとして取り上げられました」と、初舞台からかなり手ごたえのある試合だったようだ。
 
 目まぐるしく展開が多い試合が多いが、それは審判員にとって裁きやすいようだ。「お互いに攻めて展開がある分、以前のピリオド制より裁きやすいです」。今回はファイナル(3位決定戦、決勝)での出番はなかった。「次こそは決勝戦で笛を吹いてみたいですね」と次回の目標を掲げた。

 現役時代、憧れであり目標のひとつだった世界選手権の舞台。そこに審判として立った感想は「やっぱり選手として立ちたかったなと、思いますよ」と苦笑。その悔しさは、自分の教え子に託している。

「今の夢は、自分が世界選手権やオリンピックの舞台で審判をしている横のマットに、自分の教え子が立っていることかな。鴨居が一番近いから頑張ってほしいよね」。大きな夢を抱きながら、20年以上遅くなった“世界デビュー”を飾った。


 







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