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2014.04.18

【連載】ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦(1)…日本協会強化委員長・栄和人

(日本協会強化委員長・栄和人)


日本協会の強化委員長、およびJOCナショナルコーチに就任したことを機に、今月から強化の現場で感じたことを、不定期連載という形で随時レポートしていこうと思います。

 オリンピックで金メダルを取るためには、多くの人のサポートが必要であることは言うまでもありません。選手の金メダル獲得を、自分のことのように喜んでくれる人の存在が私たちを動かしてくれます。

 そのためには、私たちの活動を多くの人に知ってもらうことが必要です。何をやっているか分からないことを支援する人はいません。2016年リオデジャネイロ・オリンピックと2020年東京オリンピックへ向けて、「ともに闘う」という意識を持っていただくため、このコラムを通じて全日本チームの活動を知ってもらいたいと思います。

 私たち全日本のコーチは、地方で地道に選手を育てている指導者や、レスリングを応援してくださる人の存在を忘れてはなりません。多くの人たち苦労と情熱を知り、感謝と激励の気持ちをお伝えしていきたいと思っています。

 本コラムが、全日本チームと全国の選手・指導者・サポーターとの接点となり、日本レスリング界が一丸となってオリンピックの勝利へ向けてまい進してくださることを願ってやみません。


第1回「吉田栄勝さんの功績と思い出」

 初めに、やや旧聞になってしまいますが、先月、急逝されました全日本女子チームの吉田栄勝コーチのことからお伝えしたいと思います。

 地元開催の女子ワールドカップを4日後に控えた3月11日朝、吉田沙保里選手の父である吉田栄勝コーチが亡くなりました。享年61歳。高速道路を走行中、くも膜下出血に見舞われ、路肩に車を止めたところで意識を失ったようです。

あまりにも突然なことであり、現実が信じられませんでした。血圧が高く、下げる薬を飲んでいるとは聞いていましたが、それが生死に直結するものだとは思っていませんでした。沙保里選手のオリンピック3連覇をマットサイドで見届け、肩車してもらったことが、唯一の救いだったと思います。リオデジャネイロ・オリンピックでも同じシーンを期待していただけに、かえすがえす残念でなりません。

 吉田さんとは、吉田沙保里が高校2年生の時に出場した1999年の世界カデット選手権(ポーランド)で、吉田さんが監督、私がコーチとして同行した時からの付き合いです。一志ジュニア教室の代表であり、自宅に道場をつくってレスリングの発展に尽力していることは聞いていましたが、それまでは特別なつながりはありませんでした。

 その遠征中、「沙保里を中京(現至学館大)に預けたいと思います」と言ってきました。中京女大へ赴任してからはまだ世界チャンピオンを輩出していませんでしたが、私の京樽時代の指導を評価してくださったようです。「預ける以上、指導には口出ししません」とも言ってくれ、全面的に信頼してくださったことに期待の大きさを感じました。

■2008年の世界女子選手権から全日本コーチへ

 沙保里の数々の栄光は、栄勝さんなくしてはありえませんでした。基礎を教えたことはもちろん、あまり表に出ていない功績も数多くあります。沙保里が大学1年生の時ことです。練習のきつさと慣れない上下関係に悩み、父に「辞めたい」と伝えたことがあったそうです。

栄勝さんは「大学はそういうところ。それを乗り越えなければダメだ。厳しいところに行ったんだから、それを乗り越えなさい」と言って、とどめてくれたのです。指導者となって20年以上が経ちますが、そんな親ばかりではありませんでした。

 他の指導者(他競技を含む)とも話をして感じることですが、今は親が監督にいろんな難くせをつけて抗議してくる時代です。指導に横やりを入れ、勝てなければ監督のせいにするという親も少なくありません。団体競技では、試合に起用しないと、それだけでクレームをつけてくる親もいるそうです。

 栄勝さんは「預けた以上は任せます」と、指導については一切の口出しをしてきませんでした。そうした信頼が、私を奮い立たせてくれました。

 2008年10月に東京で世界女子選手権が行われた時の栄勝さんの力も忘れることはできません。今だから書けますが、北京オリンピックの激闘が終わった直後で、沙保里は当初、「出たくない」と言っていたのです。

 地元開催の世界選手権にエースを出さないわけにはいきません。そこで、吉田さんを全日本コーチに入れ、沙保里を説得してもらいました。沙保里は父の晴れ舞台に自分が出なければならないと思い、出場を決意してくれました。父の期待と支えが沙保里の心を動かしてくれました。

 ここで沙保里を欠場させていたら、世界連覇記録は途絶えていました。アレクサンダー・カレリンの「世界12連覇超え」を意識したのは2010年ごろからであり、当時、カレリンの記録は意識の中にありませんでした。連覇を途切れさせなかったことで、前人未到の世界13連覇につながり(現在は14連覇)、国民栄誉賞へとつながったのです。

■パーキングに入っていた車のギア

「人に迷惑をかけるな」が信条で、それを最後まで実践しました。薄れゆく意識の中で、車を路肩に止め、後続の車に迷惑にならないようにして逝かれたのです。意識を失って力が抜け、エンジンブレーキがかかって、たまたま路肩に止まったのでは、と思っている人もいるようです。しかし、発見された時、ギアはパーキングに入っていました。

 車が自然に止まったのなら、ギアがパーキングに入っていることはありえません。自身の異変を感じた吉田さんのとっさの行動でした。高速道路の真ん中に車が止まっていたら、どんな惨事が起こりうるかは言うまでもありません。本当に立派なことだと思います。

 沙保里は、失意のどん底の中で「お父さんは『出ろ』と言うと思う」として、ワールドカップに出場しました。栄勝さんの気持ちが、沙保里だけでなくチームの全員に乗り移ったのでしょう、決勝は8-0という、過去の決勝ではなかった全勝で優勝を果たすことができました。

 この場を借りて、あらためて天国の栄勝さんに御礼したいと思います。リオデジャネイロでの日本チームの活躍を見守っていただきたいと思います。 


 







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