(日本協会強化委員長・栄和人)
前回記事(審判の真剣さとき然さが、日本レスリング界を支える)
第10回「人生は、ネバーギブアップ! 挑戦する気持ちを忘れずに」
新年、明けましておめでとうございます。レスリング界にとって、階級区分の変更という大きな節目となった2014年が終わり、オリンピック前年を迎えました。9月に米国・ラスベガスで行われる世界選手権からリオデジャネイロ・オリンピックの予選が始まります。その日本代表選考レースはすでにスタートしており、レスリング界は完全にオリンピック・モードに入りました。
私が強化委員長の重責を任されてから1年近くが経とうとしています。1年間を振り返ると、世界選手権での女子の金メダル4個獲得、男子での銀メダル獲得など、まずまずの成果は出せたと自負しています。
満足していては進歩がありません。表に出た結果だけを見るのではなく、足場をしっかりと固め、さらなる好成績を残していきたいと思っています。
■私のオリンピック前年は最高の上昇イヤーでしたが…
オリンピックを目指す選手は、どんな気持ちでプレ・オリンピック・イヤーを迎えているのでしょうか。そう思い、自分が1984年ロサンゼルス・オリンピックを目指していた時、すなわちオリンピック前年の1983年を思い返してみました。
私にとっての1983年は、3月に日体大を卒業し、奈良県体育協会の所属選手としてレスリング活動に専念した年になります。前年の全日本選手権で2位となり、オリンピック出場を現実のものとして考えられるようになりました。
社会人としての生活をすることで学生時代とは違った自覚が芽生え、大きな転換期だったと思います。7月の全日本選手権(当時は6月か7月に実施されていました)で、前年の決勝で敗れた金子博さんに勝って初優勝を遂げることができました。
金子さんは前年のアジア大会(インド)で優勝していた選手。その年の3月、東京で行われたスーパー・チャンピオンカップで、今となっては“レジェンド”と言えるソ連の強豪、セルゲイ・ベログラゾフ(2度のオリンピックを含めて8度の世界一)を破る殊勲を挙げている強豪選手でした。
その金子さんに勝った自信は大きく、世界で通じる実力がついたと確信した出来事でした。約3ヶ月後にソ連・キエフ(現在のウクライナ)であった世界選手権では4位に入賞。12月にイラン・テヘランで行われたアジア選手権で優勝することができ、国際舞台で結果を残すことで、その自信がさらに強くなった年でした。
■王者の心は不安と恐怖でいっぱい! だれにでもチャンスがある!
この年の世界選手権は、江藤正基さん(現JOCエリートアカデミー・コーチ)が優勝し、朝倉利夫さん(現国士舘大部長)と富山英明さん(現日大監督)が銀メダル。今と違って「世界4位」の成績はかすんでしまう時代でしたが、翌年のオリンピックへ向けて期待の一人に含まれていたと思います。
ところが…。私はロサンゼルスのマットに立つことができませんでした。青森・光星学院高時代から“スーパー高校生”と言われた赤石光生選手(当時日大)が台頭し、敗れてしまったのです。
振り返ってみると、赤石選手の台頭を過剰に意識してしまったことが大きな敗因だったと思います。プレシャーや重圧に押しつぶされそうになり、負けてもいいから、早く試合が終わってほしいと思うようになりました。負けてから引きこもりになり、命さえ断ちたいと思うようにもなりました。
「世界4位、アジア王者の選手が、そんな馬鹿な…」と思う人もいるかもしれませんが、選手というのは、どんなにすばらしい成績を残しても、不安から解放されることはないものです。世界チャンピオンに輝いても、「世界中の選手から狙われると思うと、それまで以上の恐怖を感じた」と口にするのが現実で、“絶対王者”など存在しません。マスコミが盛り上げるために使うだけであり、勝負の世界は何が起こるか分かりません。
オリンピックを目指してチャンピオンを追っている選手は、決してあきらめてはなりません。チャンピオンだって不安いっぱいなのです。追ってくる選手が夢の中にまで出てくるぐらいの恐怖を感じているものなのです。2番手以下の選手にも、まだ十分にチャンスはあります。「ネバーギブアップ」です。絶対にあきらめないでください。
■失敗や負けの数なんて問題にならない! 大切なことはあくなき挑戦!
このことを伝えたいがゆえに、私は勝つことを捨ててしまった恥ずかしい過去を、あえて書きました。しかし、この失敗が無駄だったとは思っていません。この経験があったからこそ、4年後のソウル・オリンピックへ出場することができたのです。あの苦しみがあったからこそ、頑張れたのだと思います。
iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞取った山中伸弥・京都大教授が言っていました。「いっぱい失敗してほしい。9回失敗しないと、1回の成功が手に入らない。私自身もそうだった」。山中教授は、「ジャマ中」と言われるほど失敗の連続だったそうです。
失敗して落ち込むこともあるでしょう。「失敗したくない」と困難から逃げ出したい時もあるでしょう。壁の高さに絶望的な気持ちを感じることもあるでしょう。
でも、人生では失敗の数なんて問題になりません。スポーツでも、負けの数は問題にされないのです。決してあきらめずに向かっていけば、壁を乗り越えられる時がきます。たとえ夢がかなわなくとも、前を向いて闘った経験は、人生の大きな財産となります。
目標、目的を明確にして夢を追って下さい。吉田沙保里選手の好きな言葉は、「夢は大きく常に向上心(夢追人)」です。そうあって下さい。
人生はネバーギブアップ! あきらめずに挑戦する年にしましょう。
《ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦》
■第9回: 審判の真剣さとき然さが、日本レスリング界を支える(2014年11月20日)
■第8回: 新たな応援のスタイルを生み出したネット中継(2014年10月10日)
■第7回: レスリングを支援してくれるお母さんが増えてほしい(2014年8月17日)
■第6回: 試合後にゴミ拾いをしたサッカー・サポーターに学びたい(2014年7月17日)
■第5回: 感謝の気持ちを忘れなかった教え子を、誇りに思います(2014年6月23日)
■第4回: 天国の堀幸奈さんに、必ず世界一の感動を届けます (2014年5月26日)
■第3回: 35年前の世界ジュニア選手権でのほろ苦い思い出(2014年5月9日)
■第2回: 米国で頑張る永島聖子さんにエールを贈ります(2014年4月25日)
■第1回: 吉田栄勝さんの功績と思い出(2014年4月18日)