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2015.02.04

【特集】レスリング映画「フォックスキャッチャー」に魂を吹き込んだ八田忠朗氏インタビュー

 レスリングを題材にしたアカデミー賞候補映画「フォックスキャッチャー」の日本公開が近づいてきた(2月14日)。試写会を見た人の話では、俳優がレスラーになり切って演技しており、リアル感は抜群とのこと。

 デーブ&マークのシュルツ兄弟を知っている人は「歩き方までそっくり」と評したが、選手になり切るための指導をした一人が、何度かのオリンピックで米国女子チームのコーチを務めた八田忠朗氏(米国在住)。日本レスリング界の祖、八田一朗会長の次男であり、教え子にタックル返しを伝授し、吉田沙保里選手の連勝記録をストップさせた名伯楽でもある。

 映画に“魂を吹き込んだ”八田氏に、撮影にまつわるエピソードなどをメール・インタビューした。(映画では「Thanks(感謝)」として八田氏の名前が掲載されています)、 

《2月14日、公開劇場一覧》《映画サイト》

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映画にも出てくる1988年オリンピック予選でのマーク(選手)とデーブ(セコンド)

1993年世界選手権での八田氏とデーブ


Q:レスラー役の俳優さんの指導をしたと聞いていますが、どんな指導をされましたか?

八田:レスリングの振り付けを指導したのは、ジョン・ジウラ氏(John Giura=1989年世界選手権フリースタイル68kg級代表)です。約6ヶ月間をかけ、本格的にレスリングを教えました。私はロケ中、休み時間の時などにデーブ役のマーク・ラッファローさんにデーブのくせや歩き方、レスリングの姿勢などを教えました。撮影のあと、「本人よりうまかった」と言ったら、大喜びでした。デーブと実際にした会話など入れて、本当のデーブと話をしているようにやりました。「デーブの魂が体に入り込んで来た」と言ってくれ、デーブになりきれた様子でした。ラッファローさんとはその後、メールでやりとりしています。

Q:俳優さんにとって、レスリングの動きはかなりきつかったのではないでしょうか。

八田:ラッファローさんは45才だったので、ロケ中はかなり疲れていました。氷で腕を冷やしたりしていました。マーク役のチャニイング・テイタムさんには、胴絞り(ローリング)の時、「しっかり頭を上げてブリッジしろ」とアドバイスしました。「マーク本人よりスピードがあるぞ」と言ったら、喜んでいました。

Q:八田さんとシュルツ兄弟とは、どんな間柄でしたか。

八田:私がデーブと会ったのは、彼が大学1年生の時でした。全米チームの強化合宿で出会い、お互いにオクラホマ州立大ということで仲良くなりました。その頃、伊達治一郎氏(1976年モントリオール・オリンピック金メダリスト)がオクラホマ州立大学でデーブのコーチをしていました。伊達氏が日本に帰国してしまうと、デーブは「転校する」と言い出しました。ヘッドコーチが私に「伊達氏に電話して、オクラホマ州立大学に戻って来てくれないか」と頼んできました。そこで毎週、伊達氏に電話しましたが、「国士舘大学のコーチをしているので、できない」とのこと。結局、デーブは転校しました。

そのあと、毎年のようにあった強化合宿で一緒になり、私の家族と一緒に観光や食事をしたり、ベビーシッターをやってもらったりしました。家族の一人のような感じでした。私の次男はデーブがいる近くのペンシルバニア大学に進学すると、すぐ決心しました。

弟のマークとは家族的なつき合いはありませんでした。マークがいる時は、だいたいデーブが一緒でした。彼が色々な人生経験をしている時、伊達氏と私でマークにもう一度花をさかせようとなり、アントニオ猪木さんと組んでMMA(総合格闘技)の試合を組んだのですが、1回だけで終わりでした。

Q:事件から20年近くが経った今、この事件が映画化された理由は何なのでしょうか。

八田:20年経ってからの映画化でなく、7年前頃から映画化の計画がありました。デュポン氏が生きている間にはできなかったのが、20年間という年月が経った理由です(2010年、獄中で死去)。もうひとつ、デーブを主題にしたドキュメントの映画も製作されています。

Q:試写会を見た若い人には、「なぜ最後のシーンにつながるのか分からなかった」という声がありました。何に注目して見るべきでしょうか。

八田:私は映画に出て来るほとんどの人物を個人的に知っているので、映画の筋書は大体把握しています。レスリングや事件を知らない人達には、筋書がちょっと分からないところもあるかたと思います。1988年から1996年に話がジャンプしています。「筋書がスローだ」と言っている人もいました。注目する点は、マーク・シュルツとスポンサーのデュポンの人生観です。2人とも、子供の時に親から無視されたこと、誰かに愛を求めていたことでしょう。

Q:マーク・シュルツの講演代が20ドルというシーンがありますが、当時はオリンピック金メダリストであっても、このような状況だったのでしょうか。

八田:1984年ロサンゼルス・オリンピックのあと、デーブに私の住んでいる近くの学校でレスリングの講習会をやってもらいました。選手から参加費を取って総計400ドル(約9万円=現在なら約4万7000円)位だったと思います。デーブは「もうやりたくない」と言っていました。

Q:マークが大会初日で自暴自棄になって暴飲暴食をし、デーブがなだめ、翌日の試合のために再度減量させるシーンがありました(注=当時は連日計量)。90分で12ポンド(約5.5kg)の減量に挑んだとなっていますが、本当でしょうか。

八田:本当です。実際に立ち会った人を知っています。(右写真)

Q:米国では昨年11月に公開されていますが、どんな反響でしたでしょうか。

八田:アメリカでの反響は良いようです。レスリング人口が多いですから。両親、友達、親戚をプラスして鑑賞者が多くなりました。アカデミー賞候補に入っているので、関心を呼んだようです。


 







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