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2015.02.13

【連載】ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦(11)…日本協会強化委員長・栄和人

(日本協会強化委員長・栄和人)

前回記事(人生は、ネバーギブアップ! 挑戦する気持ちを忘れずに


第11回「米満達弘選手に感謝するとともに、必ず伝統を引き継ぎます」

 2012年ロンドン・オリンピックで日本男子として24年ぶりに金メダルを取った米満達弘選手(自衛隊)が、選手生活からの引退を決意しました。けがの回復が思うようにいかなかったことと、階級区分の変更によって従来より1kg多い減量をしなければならなくなったことなど、いくつかの要因によって決断したようです。

 1月22日に都内で行われた引退会見では、「私に関わってくださった全ての方に感謝しています」とのコメントを残しました。「支えてくれた人に」ではなく、「関わってくださった全ての方に」と言ったところに、米満選手の人間性を感じることができました。

■周囲に感謝の気持ちを持ってくれた米満選手

 人が大きなことを成し遂げるには、4つの要素がかかわってきます。一つ目は、親の存在であり、親にきちんと育てられてこその成功です。二つ目は自分自身の努力であり、頑張りです。三つ目はコーチや先生など指導してくれた人であり、周囲で支えてくれた人です。四つ目が、本人は直接知らなくても遠くから熱く応援してくれた人です。

 米満選手は4番目のグループに属する人にまで感謝の気持ちを表しました。私は選手に対して、さらに本コラムや講演などで、常に「周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに」と訴えてきました。オリンピックの金メダリストがこうした姿勢を示してくれたことで、とてもうれしい気持ちになりました。

 ロンドン・オリンピック会場の観客席にいた日本人は、米満選手の知り合いばかりではありません。他の選手の応援に来たり、ツアーで来たりして、米満選手の試合に立ち合った人もいます。それらの選手の熱い応援も米満選手の闘いを支えました。

 現地には行かなくとも、日本でテレビやインターネットなど勝敗の行方に注目し、仕事をしながらでも気にかけてくれた人がどれだけいたでしょうか。米満選手の歩んだ道には、何万人、何十万人という人がその頑張りに気持ちを向けたと思います。それらの熱い思いが伝わったからこそ、米満選手は頑張れたのです。米満選手も、そうした期待を感じとることができたのだと思います。

 オリンピックの金メダリストで「勝ったのは自分の才能のおかげ。お客さんの応援や周囲の人のおかげではない」と発言し、周囲のみならず恩師をもあきれさせた選手がいました。その後の人生を考えるなら、金メダリストがどう行動するべきかは、言うまでもありません。

 世間から「レスリングの選手は、周囲への感謝の気持ちを持っている人が多いね」と評価されることが、レスリングのステータスのアップにつながり、選手の価値も高まっていくのです。後に続く選手が米満選手から学ぶことは多くありますが、何よりもこの姿勢を学んでほしいと思います。

■大きな夢が米満選手をオリンピック・チャンピオンに育てた

 それ以外にも学ぶことはたくさんあります。まず米満選手の目標の高さが挙げられます。2007年2月の本ホームページに、「目標は五輪2連覇-。ずばり言い切る20歳の新星、フリー66kg級・米満達弘」という特集記事が掲載されています。その中に下記の記事があります。

 目標を聞かれると、きっぱりと『オリンピックの金メダル』と答える度胸のよさがある。20歳ならば、来年の北京五輪の出場を目指しつつ、2012年ロンド ン五輪での金メダルが目標と思われるが、そうではなく、『北京オリンピックの金メダルが目標です』ときっぱり。『まだ時間はあります。北京で取って、ロン ドン五輪で連覇したい』。20歳の選手で、ここまできっぱりと言い切る選手も珍しいが、そう言えるだけの気合のこもった練習をしているのは、どのコーチも 証言することだ

 米満選手の金メダル獲得の原動力は、この夢の高さだったのです。もちろん、大それた夢を持たず、目の前の目標達成に全力で挑むという姿勢も大事です。その姿勢がなければ大きな目標は達成できません。しかし、全日本王者を目標にしていたら、それを達成した時点で、達成感でいっぱいになり、その後にまで気持ちが続かない場合もありえます。

 「目標は目の前の壁、夢は大きく」です。目の前の目標達成に全力を注ぎつつ、その向こう側に大きな夢を見つめてください。ゴルフのタイガー・ウッズの名言に「大きな夢を持って、その夢を持ち続けるんだ。その夢は、きっと君を他の人とは違う、特別な存在にしてくれる」という言葉があります。大きな夢を持たない人は、どんな分野へ進んでも並の人にしかなれません。

■高校入学後にレスリングに取り組んだ選手に夢を与えてくれた

 米満選手の功績のひとつに、キッズ・レスリング全盛の昨今、「高校へ入学してからレスリングを始めては、もう遅い」という声が間違っていることを証明してくれたことがあります。米満選手は高校進学後にレスリングを始め、フリースタイルでは全国大会無冠という選手でした。インターハイ決勝は、その年に三冠王に輝いた選手にテクニカルフォールで負けています。大学へ進んで階級を上げましたが、そこにも三冠王者の同期の選手がいました。

 絶望的な気持ちになってもおかしくない中、階段を一歩一歩上がり、いつしか同期の三冠王者と立場を逆転。全日本チャンピオン、アジア大会チャンピオン、オリンピック・チャンピオンへと進んだのです。自衛隊の指導陣の力とともに、山梨・韮崎工業高校時代に文田敏郎監督が焦らずにしっかりと基礎を教え、拓大の西口茂樹部長が開花しつつあった能力を伸ばしてくれたことが大きかったと思います。

 高校に入ってからレスリングを始めた選手は、「高校からレスリングを始めては遅い」なんて言葉を相手にしてはなりません。「キッズ時代からレスリングをやっている選手や、その指導者が気休めに言っている」くらいに聞き流し、努力を続けることです。

 高校時代に実績を残せなかった選手もしかりです。2000年シドニー・オリンピック銀メダルの永田克彦選手、2003年世界選手権銅メダルの池松和彦選手、2007年世界選手権銀メダルの笹本睦選手…。高校時代に全国王者になれないところから世界のメダルを手にした選手は少なくありません。

 米満選手は10代後半からレスリングに取り組んだ選手に大きな夢を与えてくれました。レスリング界に多くの夢を与えてくれた米満選手に本当に感謝します。

■ロンドンのあの感動を東京でも実現します

 強化委員長としての私が、今やるべきことは、リオデジャネイロ・オリンピックと東京オリンピックへ向かうことであり、過去の栄光を振り返ることではありません。しかし、過去を振り返ることで前進のエネルギーが湧いてくるのなら、それも意味あることです。

 米満選手の引退にあたり、思い出させてほしい、そして伝えさせてほしい。ロンドン・オリンピックのレスリング会場のあの熱狂を。決勝の舞台で相手を持ち上げマットにたたきつけた時の身震いがしたあの興奮を。観客席で多くのサポーターが目を濡らしたあの感動を-。

 東京では、多くの日本人サポーターが会場に来ることができます。そこで生まれる熱狂、興奮、感動は、ロンドンの数倍の大きさになります。米満選手が演じてくれた以上の熱い“ドラマ”を、必ず皆さまにお届けします。


《ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦》

■第10回: 「人生は、ネバーギブアップ! 挑戦する気持ちを忘れずに」(2015年1月1日)

■第9回: 審判の真剣さとき然さが、日本レスリング界を支える(2014年11月20日)

■第8回: 新たな応援のスタイルを生み出したネット中継(2014年10月10日)

■第7回: レスリングを支援してくれるお母さんが増えてほしい(2014年8月17日)

■第6回: 試合後にゴミ拾いをしたサッカー・サポーターに学びたい(2014年7月17日)

■第5回: 感謝の気持ちを忘れなかった教え子を、誇りに思います(2014年6月23日)

■第4回: 天国の堀幸奈さんに、必ず世界一の感動を届けます (2014年5月26日)

■第3回: 35年前の世界ジュニア選手権でのほろ苦い思い出(2014年5月9日)

■第2回: 米国で頑張る永島聖子さんにエールを贈ります(2014年4月25日)

■第1回: 吉田栄勝さんの功績と思い出(2014年4月18日)


 







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