日本レスリング協会公式サイト
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2015.03.04

【全自衛隊大会・特集】闘いの場を畳からマットへ変え、オリンピックを目指す…鶴田峻大(第12普通科連隊)

 自衛隊には、高校時代までは柔道に親しみ、入隊後にレスリングを始めてオリンピック選手にまで成長した選手が何人かいる。1984年ロサンゼルス・オリンピック金メダリストの宮原厚次さん(グレコローマン52kg級)を筆頭に、オリンピック3度代表の森山泰年さん(同82・90kg級)、2度代表の向井孝博さん(同74・82kg級)、1988年ソウル・オリンピック6位の大久保康裕さん(同68kg級)、2000年シドニー・オリンピック代表の元木康年コーチ(同63kg級)など。

 この春、その再現を目指す選手が体育学校レスリング班に加わる。全自衛隊大会の86kg級に出場し2位となった鶴田峻大(第12普通科連隊)。沖縄・沖縄尚学高時代に柔道で九州3位などの成績。卒業後も柔道を続けたくて昨春、自衛隊に入隊。集合教育を受けていたが、残念ながら柔道の枠は埋まってしまった。

 競技断念の状況だったが、レスリング班から「レスリングに向いている体型だ」と声がかかった。「まだ自分の能力を発揮し切れていない。自分の可能性をもっと追求してみたい」と、畳をマットに変えてオリンピックを目指すことを決意した。

 レスリングの練習期間は約3週間。決勝では2011年世界選手権(トルコ)の男子フリースタイル74kg級代表の高橋龍太(練馬駐屯地)に2-8で敗れたが、最後はあわやフォールに追い込むシーンもあり、高橋に「危なかった!」と言わしめた力を発揮した。

 「まだルールもよく分からない状態で、動きもきちんとできなかったです」とのことだが、高橋が3年半前に世界選手権に出場している実力者だということは聞いていた。「よくできたかな、とは思います」と、まずますの“デビュー戦”だったようだ。

 柔道選手がレスリングをやる場合、「つかむところがなくて、やりづらい」と口にするのが普通。鶴田も同様で、「つかめないのはきつかった。慣れるまで大変だと思います」と覚悟している。この大会はフリースタイルなので脚を使っての攻撃ができ、柔道技も活かせたが、今後やるのはグレコローマン。足払いなどはできない。その点でも「まだ不安があります」と言う。

 取り組むことは多くあるが、4月の体育学校入校を経て、同25~26のJOC杯ジュニアオリンピック(神奈川・横浜文化体育館)での本格デビューへ向け、レスリングへのコンバートに全力で打ち込む予定だ。。

 約45年前、体育学校レスリング班には、自衛隊員ではなかったが(中大在籍、のちにレスリング部へ)、「鶴田」という名前の選手が汗を流していた。稀な才能を持ったその選手は、1年数ヶ月のキャリアで全日本王者に輝き、2年半でミュンヘン・オリンピック出場を果たした。その後、闘いの場をプロのリングに移し、「ジャンボ鶴田」として一世を風びした。

 自衛隊に“第2の鶴田”が誕生するか。オリンピックへの道が開けるかどうかは、今後の努力次第だ。


 







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