日本レスリング協会公式サイト
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2015.07.01

【特集】目標は“日本一”を輩出した群馬大! 部員2人の八戸工大、部存続への闘い

 6月24日に東京・駒沢体育館で行われた東日本学生春季新人選手権のフリースタイルBの86kg級に、部員不足で5月の東日本学生リーグ戦出場を断念した八戸工大から中山滉平が出場。初戦で慶大の選手に敗れ、「悔しい。タックルが崩された」と唇をかみながら、「去年、秒殺で負けたことに比べれば進歩している。新人選手権はあと1回、出られるので、今度こそ1勝をあげたい」と秋季大会を見すえた。

 スタミナがついていかない様子で、闘っていくうちに徐々に動きが悪くなり、最後はフォールされた内容。部員が少ないため練習量が積めず、それが一因と思われるが、「来年はリーグ戦に出られるように、選手を勧誘したい」と話し、自身の実力アップと部の再興への思いを話した。

 中山は、岩手・千厩高時代までは柔道に取り組み、大学に進学してからレスリングを始めた選手。同大学の柔道部は活動を停止しており、親戚でもあるレスリング部の水戸芳広監督に誘われレスリングの道に入った。キャリアは1年2か月ほど。格闘技の基礎はあったが、「柔道と違って激しく動く競技ですね。柔道は組み合ったら休めますけど、レスリングはそれができない」と、静止することのない闘いにまだ慣れていない様子だ。

 現在の部員はセコンドについた有川正主将(3年=岩手・種市高レスリング部OB)と中山の2人だけ(もう一人いるが、事情で参加できないので、実質2人)。当然、練習は2人だけでやることになる。首都圏の大学なら他大学に出げいこすることもできるが、青森県にレスリングをやっている大学は他にないので、2人だけの練習が続く。

■女子マネジャーの力で部の存在をアピールする!

 ただ、市内の八戸工大一高や八戸工高にはレスリング部があり、時に参加させてもらっているという。中山のキャリアでは県チャンピオン・クラスの選手にはなかなか勝てないが、貴重な練習の場だ。八戸工高では2004年アテネ&2008年北京オリンピック代表の伊調千春さんがコーチをやっている。「指導していただいたことがあります。レスリングの奥深さを感じました」と、トップレベルのレスリング技術を学んだこともある。「卒業まで続けていきたいと思います」と、マットへの思いを話した。

 実力をアップさせるためにも、まず部員を増やしたいところ。有川主将は、「部員を増やす手段、秘策は?」との問いに、「ないですね」と即答して苦笑い。「メジャーなスポーツに流れます。レスリングを選ぶ学生は…(そういません)」。青森県の高校選手で卒業後もレスリングを続ける選手は、例外なく東京の大学に進むので、経験者をあてにすることはできない。「未経験者でやりたい人を探し出して、育てていくしかありません」という。

 一方、中山はひとつのアイディアを持っている。「今年、美術系の学科に通う女子マネジャーが入りました。レスリングのイラストを書いてもらって、それで引きつけてみたい」-。

 マットの上の闘いだけではなく、部の存続をかけた涙ぐましい闘いが続くことになるが、同じような境遇の群馬大(昨年からリーグ戦に参加できず)から、全日本選抜チャンピオン(木村安里)が生まれたことは刺激になったようだ。有川主将は8月の全日本学生選手権で昨年の3回戦敗退を超える成績を目標に頑張り、来年以降へつなげていきたい腹積もりだ。

 八戸工大は東日本学生リーグ戦の一部リーグに在籍したことがあり、学生王者やオリンピック候補選手も輩出した。40年を超える歴史を持つ元強豪チームが、リーグ戦の舞台で再び輝く日はやってくるか。

 八戸工大レスリング部  日体大OBで、1966年世界選手権のフリースタイル52kg級で2位だった勝村靖夫氏が1973年に創部。翌年、東日本学生リーグ戦の二部リーグに初出場し、予選Aグループを7戦全勝。優勝決定戦で青山学院大を破り、入れ替え戦で法大を撃破。1シーズンで二部リーグを通過するという“スピード出世”を果たした。 1976年には一部Bグループで3位に躍進した。

 個人戦でも、1975年に全日本学生選手権フリースタイル74kg級で小笠原寛 が優勝。77年には同級で海沼邦彦が勝つなど活躍。海沼は同年の全日本選手権3位にまで躍進し、自衛隊に進んで1980年モスクワ・オリンピックの候補選 手へ。同年の全日本選手権は2位だった。

 しかし、大学の方針が変わってスポーツ推薦や特待生制度がなくなり、部員不足のため、1980・81年に2年連続 でリーグ戦不出場を余儀なくされ、三部リーグ(75年に新設)に転落。その後、一般入試学生の選手によって三部リーグや二部リーグで奮戦し ていたが、2012年に部員不足でリーグ戦を棄権。13年に復活して予選Aグループ2位となったものの、14年は二部の8位(最下位)へ。今年は棄権した。


 







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