男子フリースタイル | 57kg | 61kg | 65kg | 70kg | 74kg | 86kg | 97kg | 125kg |
男子グレコローマン | 59kg | 66kg | 71kg | 75kg | 80kg | 85kg | 98kg | 130kg |
女 子 | 48kg | 53kg | 55kg | 58kg | 60kg | 63kg | 69kg | 75kg |
男子フリースタイル | 57kg | 61kg | 65kg | 70kg | 74kg | 86kg | 97kg | 125kg |
男子グレコローマン | 59kg | 66kg | 71kg | 75kg | 80kg | 85kg | 98kg | 130kg |
女 子 | 48kg | 53kg | 55kg | 58kg | 60kg | 63kg | 69kg | 75kg |
《米平安寛・略歴》 / 《米平安寛・国際大会成績》 / 《男子グレコローマン98kg級展望》 / 《勝者の素顔》
《オリンピック&世界選手権・歴代優勝選手と日本選手成績=男子グレコローマン》
(文=樋口郁夫)
オリンピックの出場枠を2大会連続で獲得。2007・13年は世界5位にまで進出した男子グレコローマン96・98kg級。加藤賢三と斎川哲克の力で、日本の重量級も世界で通じることが証明された。今年の世界選手権(9月7~12日、米国・ラスベガス)の同98kg級に出場するのは、学生王者などを経て今年の全日本選抜選手権を制した米平安寛(三恵海運)だ。
全日本選抜選手権は全日本王者の斎川が腰の負傷で途中棄権。プレーオフなしでの代表決定だった。だが、“代理での出場”という意識はない。「日本一になったのですから、オリンピック出場枠を取ってきます」と気合十分。
昨年は身分が安定しておらず、親からの援助にも頼って生活していた。この春、三恵海運に就職。コンビニでのアルバイト生活から脱却し、練習に専念させてもらえるようになった。「会社を背負って闘うことで、前より気が引き締まっています。会社と今まで支えてくれた人のために、結果を残したい」と、気持ちも新たに世界へ初挑戦し、オリンピック出場枠獲得を目指す。
■2年前のポーランド遠征に比べると格段の進歩を感じた
キッズ・レスリングあがりの選手が幅をきかせる現在だが、グレコローマンは必ずしもそうでない。米平も宮崎・都城高へ進んでからレスリングを始めた選手。高校時代の全国レベルでの実績は皆無で、日体大へ進み、3年生頃から頭角を現した晩成選手だ。
それゆえ国際大会の経験も少なく、この点は不安材料だ。しかし7月中旬のポーランド遠征で欧州選手との練習を数多くこなし、世界選手権の前哨戦とも言える「ピトラシンスキ国際大会」に出場。「外国選手相手にものおじしないでできるようになりました。気持ちも盛り上がってきました」と、気持ちでキャリアの浅さをカバーする腹積もり。
気持ちだけではなく、技術と体力も向上していることを実感した。ポーランドには2年前にも日体大の数選手とともに遠征し、本場のグレコローマンの洗礼を受けている。「何もできなかった」という前回に比べ、今回は「かなりできるようになった。前回やられ放題だったジュニアの選手とも練習したけど、スタンド戦では優勢だった。成長を確信できました」と振り返る。
体力のアップと組み手の向上が、その要因ではないかと自己分析する。大会ではノルウェーの選手相手に初戦敗退だった。「巻き投げを受けてフォール負けでした。投げの免疫ができていません。四つに組んだ時の攻防などが課題です」と、実戦を通じて明確な課題も見つかり、収穫ある遠征だった。
9日からは岡太一(85kg級=自衛隊)、園田平(130kg級=拓大)とともにハンガリーへ遠征し、約2週間、現地ほかの選手と合宿練習をこなす。ポーランドで見つかった課題を、すぐに外国選手相手に試せるのだから恵まれている。「国際大会での実績もないのに、こうした機会を与えてもらえたのはありがたい」と話し、期待にこたえられるだけの収穫を得てくる腹積もりだ。
■斎川哲克を破ってのオリンピック出場が目標
世界選手権へは初出場だが、昨年、2020年ターゲット選手の海外合宿でウズベキスタンへ行き、外国選手と練習し、試合を観戦している。「最高の舞台ですね。そこで闘うイメージはでき上がっています」と、本番であがらないためのイメージトレーニングにも余念がない。
しかし、昨年の会場は世界選手権の舞台としては中規模の体育館。決勝戦の演出は素晴らしいものがあったが、ラスベガスでの舞台設定はもっと豪華なことが予想される。「そうですか…。では、もう一度イメージし直します」と苦笑するが、「そうした場所で闘えるのは、誇らしく感じるのでは?」との問いに、「そうですね」とうなずいた。
ライバルであり目標だった斎川は腰の手術に踏み切り、12月の全日本選手権を目標に復帰を目指している。フリースタイル97kg級の山口剛(ブシロード)がそうだったように、強い選手はブランクがあっても変わらぬ強さを維持しているもの。米平がオリンピックに出るためには、世界選手権で3位以内に入って内定を勝ち取るか、そうでなければ、斎川の復帰が全日本選手権に間に合わず、斎川との対戦がなくなる状況の方が可能性が高いと思われる。
だが、米平はきっぱり言った。「斎川さんを破ってオリンピックへ行きたいので…(そうした気持ちはありません)」-。今回の世界選手権で出場枠を取らない、という意味ではない。出場枠を取っても、“斎川超え”を果たさなければオリンピックのマットには立ちたくないという目標に挑む強い意志。目標が消えて喜ぶ選手なら、その目標を超えるだけの実力は身につかない。
オリンピックの出場枠獲得とともに、“斎川超え”という目標に向かい、米平が初の世界選手権へ挑む。
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■2014年10月24日: 【特集】世界を目指す“遅咲きのエリート”…男子グレコローマン98kg級・米平安寛(宮崎県協会)