(文・撮影=樋口郁夫)
9月22日、東京・港区スポーツセンターで、「フィギュア・フォー・クラブ」(本多尚基代表=日大卒)主催の、キッズからマスターズまでの大会「第8回デストロイヤー杯港区レスリング大会」が行われた。
参加選手数は北海道、香川、佐賀などからも含めて63クラブ540選手。全国大会の入賞者が91選手参加するなど、質量ともに充実した大会で、初参加したクラブの代表からは「港区の大会というから、こじんまりした大会だと思っていました。全然違いました」という声が挙がった。本多代表は「日本一の草大会を目指します」と言うが、規模としては草大会をはるかに超えたグレードの高い大会と言ってもいい。
■強い選手も、これから強くなる選手も、分け隔てなく次につなげられる大会
2008年の第1回大会は80人程度の参加で、7年で立派な大会に成長した。本多代表は「『初心者から全国王者まで一堂に集まって闘う大会』『強い選手も、これから強くなる選手も、分け隔てなく次につなげられる大会』が開催のコンセプトでした。その目標がようやく形になってきました」と振り返る。
そのコンセプトのひとつとして実施しているのが、参加全選手にTシャツ、賞状、メダルを授与していること。顧問の元有名プロレスラー、ザ・デストロイヤー氏(前港区在住)が「負けた選手に劣等感を持って帰ってほしくない」との考えから、大会当初から実施している。3位に入れなかった選手のメダルの色は金でも銀でも銅でもなく、賞状に「○位」とは入っていないが、参加全選手の健闘を称えている。
コンセプトに沿って今年から実施したひとつが、小学生の部に「ビギナーの部」をつくり、初心者と全国大会入賞者とが闘うことのない大会にしたこと。今年は48選手がエントリーした。「競技の普及発展の役割」として重要と思われる部門で、この部門の発展が競技人口の増加につながることは間違いあるまい。
■全国王者に「負け」を経験させるためのトーナメントも実施
全国大会の入賞者に「負け」を経験させるトーナメントも実施しているのも特徴だ。一般のトーナメント全試合が終わったあと、全国入賞者、および希望者を集めて行う「天下一武道会」のトーナメントで、階級は重量級と軽量級の2部門(2学年単位で実施するので、計6部門)。ルールは先取点を取った選手が勝ち。したがって試合時間は短く、3面マットを使って約30分で終わった。
全国王者になったはいいが、「いい気になってしまい、努力する姿勢がなくなった」という声を聞くこともあった本多代表が、「負けを経験することで謙虚な気持ちになり、初心に戻れる。負けて岐路につくことも必要」として、この部門をつくった。チャンピオンに「勝たせたままでは帰さない」という制度のある大会は(最大で6選手は負けずに帰るが…)、全国で唯一ではないか。
他クラブとの交流もコンセプトに沿った活動。今年は北海道から旭川レスリング協会ジュニアが参加したが、「フィギュア・フォー・クラブ」の家庭がホームスティで受け入れたことで宿泊代の軽減に協力。東京と北海道の選手が交流する場となった。
大会翌日の23日(祝)には合同練習会を開催。これにも多くのクラブが参加した。来年も9月か10月の連休に会場を取れるように動いており、練習と交流をセットにした大会は、来年以降、ますます発展していきそうだ。
本多代表「親が勝つことに熱くなりすぎていると感じることがあります。チャンピオンを決めるだけの大会ではなく、選手が『これからも練習がんばろう』と思って帰ってくれるような大会を目指したい」という信念は、数々の特徴ある活動につながっている。
■手作りで経費を削減し、選手へ還元する!
全選手にTシャツ、賞状、メダルとなると経費がかさむ。しかし、パンフレットにはいかなる企業の広告もなく、港区も現段階では協賛金といった金銭的な支援は行っていない。「収入は、参加料2500円×約540人分(約135万円)だけです」と本多代表。
この中でどうやって経費をねん出しているのか。大会運営がクラブの父母や近隣の高校レスリング部員の“無料奉仕”で成り立っている大会は普通にあり、この大会でもそれは実践している。この大会はパンフレットの大半が手づくり。同代表がパソコンで全ページをデザイン。それを印刷会社に出しているので、通常よりずっと安く上げているという。
だからといって“お粗末”というものではなく、保存価値十分の内容。言われなければ手作りとは思えないような豪華なパンフレットだ。メダルやTシャツのデザインも“プロ”の手が入っていないので格安に仕上がる。経費節減の工夫をすることで、選手への還元にあてているのが、この大会だ。
大会のスタート時には、選手にどのような役割を持つ大会を提供できるかが熱く話し合われた。「優勝者はデストロイヤーさんに足四の字固めをかけてもらおう」「覆面をプレゼントしよう」などといった突拍子もない意見も出されたそうだ。
しかし、旧習にとらわれない新鮮なアイディアは、発言をためらわせることのない自由な雰囲気の中から生まれる。会社における上司と部下と“飲みニュケ―ション”は絶滅に近いそうだが、冗談も飛び出る会話の中からの発想こそが、時代にマッチする場合が多い。34歳の本田代表を中心とした若いパワーが、従来にはないユニークな大会をつくり上げたと言えよう。
■港区レスリング協会の設立で、さらなる発展を目指す
3年前まで港区役所に勤務し、クラブ発足から本田代表を助けて来た村本健二コーチ(日本協会・前総務委員長)は、「第1回大会は青山中学の道場で、1面のマットを2つに分けて開催したんですよ。港(みなと)区の大会だから、“みんなと”やり、“みんながトクする”大会にしよう、として、ここまできました」と振り返る。
大会の翌日に合同練習というパターンは、最初は「疲れているのに、なぜ?」と思ったそうだが、意外に評判がよかったという。「(本多代表の)若さゆえの発想でしょう。彼のパワーが、フィギュア・フォー・クラブとこの大会をここまで押し上げました」と言う。
自身は港区レスリング協会の設立へ向けて動くと言う。行政としては、一クラブが相手より、協会が相手の方が動きやすいそうだ。現在でも、パンフレットに区長のあいさつがあるが、協会設立でさらに太いパイプができれば、もっと大きな大会になっていくだろう。注目される港区大会の今後だ。