(文・撮影=増渕由気子)
JOCエリートアカデミーの江藤正基コーチはインターハイを目の前にして、3連覇がかかる乙黒拓斗(東京・帝京/同アカデミー)の上出来な仕上がり具合に優勝を確信していた。アカデミーの中でも、特に期待がかかる選手の一人である乙黒は、高校1年生から才能を惜しげもなく発揮している。
今年4月のJOC杯では大学生が主戦場のジュニアの部に出場し、60kg級で優勝。高校生ながら世界ジュニア選手権出場のキップを手に入れた。
大学生をも撃破する力を持つ乙黒に死角はない。だが、広島に出発する直前に乙黒は浮かない顔をして、江藤コーチに告白した。「僕、スランプなんです」-。
■3連覇の意識が“スランプ”となってしまったが…
史上4人目の3連覇がかかる選手として一番の注目選手だった。乙黒は敢えて3連覇を意識し、自分にプレッシャーをかけて乗り越える試練を課していた。
これを過度にやりすぎたのか、フィジカル面では何の問題もなかったが、精神的に追い詰められてしまい、「何をやっているのかも、練習でも分からなくなってしまった」と、スランプだと勘違いしてしまった。
江藤コーチがその理由を聞くと「よく練習する大学生に、自分の技がきかなくなった」ことで悩んでいるようだった。インターハイは高校生しか出場しない。江藤コーチは「大学生は(適応能力が高いので)、毎日練習していたら技がかからなくなるのは当たりまえだから、それは気にしなくていい。ジュニアクラスで優勝できるのだから、周りからは『乙黒は強い』と思われている。お前は有利なんだぞ。負ける要素はない」と諭した。
「江藤コーチと話して楽になった」という乙黒は、吹っ切れたのか、初めて挑む60kg級のインターハイでも大暴れ。初戦から準決勝までテクニカルフォールで勝ち進み、決勝の鈴木絢大(静岡・飛龍)との一戦も危なげなく5-2で振り切った。決勝のラストは鈴木のアタックに逃げるそぶりを見せてしまったが、「それ以外は、全部完ぺきだった」とスランプどころか内容も充実していた。
■「2020年東京オリンピックも十分に狙える」(江藤正基コーチ)
史上4人目の3連覇といっても、乙黒の場合はさらにハードルが高かった3連覇だ。50kg級、55kg級、60kg級と成長に合わせて、階級を上げながらの闘いとなりそれを乗り越えての偉業達成だ。さすがの乙黒も「階級を上げながら勝ち続けるのはきつかった。階級を上げたから(まだ力が及ばなくて)負けたというのは、理由にならない。その階級に出た以上、勝たないといけない」と、一切妥協せずにそれぞれの階級と向き合った結果だった。
大変だったのは体作り。「昔は技だけで勝負できると思っていた。けれども(階級を上げた)最近は力がないと勝てないと思って筋トレにも励んできた。頑張ってきたかいがありました」と成長期の苦労を、努力で補ってきた。
江藤コーチは乙黒を「攻撃よし、守りよし、スタンド、グラウンドともによし。それにカウンターもできる。マイナス面が見つからないし、敏しょう性や持久性にも富んでいる。各要素のバランスを持った類(たぐい)まれな選手。2020年東京オリンピックも十分に狙える選手でしょう」と評価し、将来が楽しみにな様子。
スランプどころか、今回も結果的に頭ひとつ抜けた力で優勝した乙黒。「高校3連覇をするためにレスリングをしてきたわけじゃない。これに安心しないで世界ジュニアでも勝てるようにしたい」と、すぐさま、次の目標を掲げた。乙黒の高校生活のラストスパートに目が離せない。