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2017.01.01

【新春特集】挑戦は、いつも美しい! 日本女性として初めて“メジャー”の舞台へ挑む米岡優利恵さん(1)

(文=樋口郁夫)

 どんな分野であれ、だれも足を踏み入れたことのない世界に挑むパイオニアには、想像を絶する苦労が伴う。「挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも、挑戦せずに成功はありません。挑戦しないことには始まらないのです」(日本の野球選手として米国の大リーグへ挑んだパイオニアの一人、野茂英雄投手)

 日本レスリング界では、日本にレスリングを“輸入”し、強烈なリーダーシップで世界に誇れる王国を築いた日本協会の八田一朗・第3代会長、日本に女子レスリングの種をまいて育て、世界最強の女子レスリング王国を築いた福田富昭・現会長らが挙げられる。

 もう一人、日本レスリング界初のオリンピック・メダリスト、内藤克俊さんの存在を忘れてはならない。1920年代に渡米して米国・ペンシルベニア州立大へ入学し、レスリングに打ち込み、キャプテンとなって活躍。「日本人レスラー第1号」として1924年パリ・オリンピックに出場し銅メダルを獲得した人だ。周囲に日本人がいない境遇だっただけに、その精神力は並大抵でなかったことが想像される。

■日本女子選手で初めて米国学生レスリングへ挑戦!

入学を前に、12月末に帰国した米岡優利映さん

 いま、日本女子選手としてはだれも足を踏み入れたことのない米国の学生レスリング界に、果敢に挑もうとする選手がいる。米岡優利恵さん、23歳。3年間の英会話の勉強を経て、留学生という形ではなく、正式な大学生としてノースダコタ州のジェームズタウン大学に合格した。入学は今年1月。全米学生選手権などのタイトル獲得を目標に練習を再開。米国デビューを目指して汗を流している。

 米国で女子チームのある大学は33大学。女子学生選手の競技人口は約400人。トップ選手の実力では日本の方が上だが、底辺の厚みでは米国の方が上。男子の学生レスリングは、毎年3月の全米学生選手権に3日間でのべ10万人を超す観客を集める花形スポーツ。世界的には総じてマイナーな部類に属するレスリングだが、米国の学生レスリングは「メジャー」と呼ばれる舞台。女子もそれに応じて注目度は高い。

 スタートラインに立つまでに想像を絶する試練の日々があっただけに、デビュー戦は万感の思いをこめたマットになるだろう。「全米学生選手権など、大きなタイトルを取ることが目標です」と、これからが本当の勝負。英会話のマスターという壮絶な闘いをくぐり抜けた経験を心の支えに、前人未踏の地に挑む。日本女子選手のパイオニアとして活躍が期待される。

■挫折したレスリング人生、ロンドン・オリンピックを見て、涙の毎日

 米岡さんは千葉・柏レスリング・クラブでレスリングを始め、埼玉・埼玉栄高校へ進んでレスリング続けた。リオデジャネイロ・オリンピックで金メダルを獲得した登坂絵莉選手らと同年代。同高の女子主将として活躍し、2011年全国高校女子選手権では3位に入賞。一段上を目指して大学へ進んだ。しかし、そこで様々な問題に直面し、退部することになってしまった。

千葉・柏レスリング・クラブ時代の米岡さん

「完全に気力を失ってしまい、鬱(うつ)状態になって部屋に引きこもっていました」。家族もレスリングの話題は避けたが、2012年ロンドン・オリンピックの年であり、あこがれだった選手の活躍が毎日のようにテレビで流れた。「自分は何をしているんだろうか、これが正しい選択だったのだろうか」と思うと、落ち込み、涙が何度もほほをつたわった。

 そんな時、遭遇したのが本ホームページに掲載されたジェームズタウン大学が日本選手を募集しているという記事だった(クリック)。元々留学希望があり、この募集にとびついた。「記事を見て、5秒で(担当の)八田忠朗さんに連絡しました。人生で一番大胆な行動でしたね」。

 その原動力は「レスリングをあきらめたくない」という気持ちだった。部をやめたことは後悔していなかったが、4歳からやってきたレスリングを不本意な形でやめたままでいることはしたくなかった。

■留学しても、英語も満足にしゃべれないまま帰国するのは嫌だった

 具体的な形ではなかったが、海外へのあこがれがあったので、部をやめた段階で留学という道を選び、人生をリセットすることもできた。しかし、心の底に残っていた「レスリングをやりたい」という気持ちを実現できる大学は見当たらなかった。

2010年ジュニアクイーンズカップ・カデット49kg級で3位となった米岡さん(右から2人目)。その左は優勝した川井梨紗子選手、左端は2015年世界選手権代表の木村安里選手

女子レスリング部のある大学に1~2年留学し、その大学の選手と練習しながらオープン大会に出ることはできたが、そうした形で続けたくはなかった。「日本人だらけの大学に行っても、英語も満足にしゃべれないまま帰国するのは間違いないと思いました」。

 行くなら、正式な大学生として入学し、米国の大学の大会に出場することを選びたかった。その気持ちをかなえてくれるのがジェームズタウン大学だった。「大学がどこにあるかも知らなかったし、自分の英語力のことを考えることもありませんでした」という状態だったが、気持ちは入学に傾いた。

 入学に必要な英語力は、英語能力試験の「TOEFL」で525点以上というハイレベルなもの(注=大学進学を目指す高校生の平均が400点程度と言われる)。言い換えれば、ネイティブの人と不自由なく話せる会話力だが、それだけではなく、専門的な問題(例えば心理学や植物学、医学など)を、すべて英語で読んで、話して、書いて、解くなど、授業のすべて理解してテストで合格する能力も必要だった。

「その時の私は中学1年生にも満たない英語力だったのです」という米岡さんにとって、あまりにも過酷な道だった。だが、彼女はそれに挑んだ。「レスリングを続けたい」という強い気持ちをもって。

《続く》


 







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