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2017.03.28

【全国高校選抜大会・特集】「高校からレスリングを始める選手を育てることも大事」…インターハイ王者を育てた原喜彦監督が新潟・県央工高で最後の指揮

(文・撮影=樋口郁夫)

 新潟・県央工高の監督として20年にわたって新潟県の強化と普及、大会運営に尽力してきた原喜彦監督が4月から母校の巻総合高へ転勤となり、同校監督として最後の指揮をとった。

 沖縄・北部農林高相手に2-5で敗れて有終の美は飾れなかったが、「最後に尊敬する屋比久(保)監督の高校と闘うことができたのはよかった。インターハイ・チャンピオン(2003年76kg級・宮路高行=当時三条工高)をつくり、世界選手権の代表(2007年・萱森浩輝)に育った選手もいて、いい時をすごせました」と感慨深そう。

 「強くするだけが高校スポーツではない」と、競技力向上だけでなく、社会で通じる人間力を高める指導もしてきたと自負している。「常に多くの部員を集めて、(県のレスリング)全体を盛り上げてければいい、という20年でした。ぎゅうぎゅうにしなくても、インターハイ・チャンピオンって生まれるものなんですね」と振り返った。

  原監督は、現巻総合高の前身の巻農高時代は全国的に無名の存在だったが、日体大へ進んで力をつけ、1988年ソウル&1992年バルセロナ両オリンピックの代表へ。オリンピック出場が途絶えていた同県の伝統をよみがえらせた。オリンピックの間の1989年に新潟北高の教員として地元にUターン。指導者として、さらなる伝統復活を期待された。

 団体戦での日本一はつくれなかったが、個人戦でインターハイ王者を育て、新潟北高時代を含めれば2人の世界選手権代表を育てたのだから、その役目は十分に果たしたと言えるだろう。部員不足で団体戦が組めないチームもある中、現在の部員は16人で、コンスタントに部員を集めていた。原監督が新潟県にUターンしていなかったら、同県のレスリング界はどんな状況になっていただろうか。

■母校の巻総合高で3度目の挑戦、「徐々に強くしていきたい」

 これでレスリング活動を終えたわけではない。巻総合高にも、現在は女子選手1人という状況だがレスリング部があり、ベースはある。「私がいた頃と違って女子の方が多く、優しい生徒と優しい先生が多い高校です(笑)。徐々にですけど強くしていきたい」と、新たな挑戦が始まり、女子にも取り組むことになる。
 
 もちろん、県の強化と普及、大会運営で欠かすことのできない人材である。県央工高は笹川久志コーチが引き継いで強化するので、巻総合高に部員が集まって形になれば「合同練習という形で切磋琢磨していきたい」と言う。

 強化の方策のひとつとして、キッズ教室をスタートさせ、そこから育てていくケースも多くなった昨今だが、「高校からレスリングを始める選手を育てることも大事。それも新潟県の特徴」と話し、キッズ・レスリングにこだわるつもりはない。

 また、「(高校の監督が)自分のチームに入れるためキッズ教室を開く場合も少なくない。がんじがらめにしてはよくないと思う」と話し、教え子であっても、少年少女選手は“レスリング界の財産”として自由な選択を与えるべきだとの考えも持っている。

 県央工高は去るものの、県のレスリング界のため、そして全国の高校レスリング界のため、やってもらわなければならないことは多い。期待される原喜彦監督の今後だ。


 







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