専大の監督として同大学を東日本学生リーグ戦の優勝に導き、日本協会の総務委員長・副会長などを歴任、最近は病気療養中だった鈴木啓三氏が8月4日、死去されました。享年81歳。
通夜は8月8日(火)午後6時から、告別式は9日(水)午後1時から、いずれも春秋苑(神奈川県川崎市多摩区南生田8丁目1−1、小田急線「生田」から無料送迎バス)にて。喪主は妻・明美さん。
北海道・利尻島出身。専大時代の1957(昭和32)年に全日本選手権フリースタイル・ウエルター級で優勝。卒業後の1965年に専大の教員となり、レスリング部監督へ。1969年に東日本学生リーグ戦で初優勝を達成。以後、吉田光雄(長州力)らの力もあって70、73年にも勝ち、一時代を築いた。
1972年ミュンヘン・オリンピックはコーチとして参加し、教え子の加藤喜代美(フリースタイル52kg級)が優勝。1974年アジア大会(イラン)は監督として参加。度をすぎる地元ひいき判定に強行に抗議して試合を放棄させ、「名誉ある試合放棄」とコメントした。
その後は日本協会の総務委員長を長く務め、2001年度から2006年度まで副会長。教え子の中には日本協会の馳浩副会長らプロレスラーも多く、吉田沙保里選手の父、故吉田栄勝さんも教え子。