世界レスリング連盟(UWW)がレスリングのスタイルとして認定しているパンクラチオン。その世界選手権が10月27~29日、ロシア・ソチで開催され、日本からは、日本レスリング協会の要請で、世界で最も歴史のある総合格闘技組織・修斗から5選手が出場した。
いったいどんな総合格闘技が行われていたのか。コーチとして選手団を率いたプロ修斗の佐藤ルミナ・現一般社団法人日本修斗協会理事長(元環太平洋ライト級王者)に話を聞いた。(聞き手=布施鋼治、写真提供=日本グラップリング&パンクラチイン委員会)
──大会では、どんな競技が行われましたか?
佐藤 ひとつは道着やスネ当てを着用したうえで闘うアスリーマ。打撃はライトコンタクトで、と聞いていたけど、実際にはみな思い切り当てていました。もうひとつはパンクラチオン。ヘッドギアとスネ当てを着用したうえで、ポイント制で勝負を争う。驚いたことに、ヘッドギアやスネ当ては自前のものを使用しました。いずれも試合時間は5分でした。
──各競技の階級は?
佐藤 シニアの男子は8階級に分かれていました。シニア以外にはカデット(16~17歳)、ジュニア(18~19歳)、ベテラン(36~56歳)のカテゴリーがありました。日本からは出場しなかったけど、各カテゴリーとも女子の階級も設けられていました。
──プロの出場は?
佐藤 何名か出ていましたね。日本からはプロ修斗の元環太平洋ライト級王者の児山佳宏選手(パラエストラ松戸)が出ていたけど、1回戦で彼に勝ったロシアの選手もプロで活動していると聞きました。
──日本代表の結果を教えてください。
佐藤 アスリーマの方には、2017年全日本アマチュア修斗選手権ウエルター級で優勝した福田亮選手(有永道場TeamResolve)が84㎏級に出場しましたが、1回戦で長身の選手にがぶられた末にニンジャチョークで負けてしまいました。パンクラチオンの方は全員が1回戦負け。敗者復活戦に回った野尻定由(赤碕道場)が不戦勝ながら3位に入賞しました。
──目立った強さを見せていた国は?
佐藤 ロシアや旧ソ連の属していた国々ですね(男子のシニア全8階級のうちロシアは4階級、ウクライナとカザフスタンが2階級ずつ金メダルを獲得)。技術レベルは、我々がやっているアマチュア修斗の方が高いかもしれないけど、この大会に出場した選手は総じてフィジカルが化け物。これから70㎏以上の階級で日本代表が勝ち上がっていくことは難しいとすら感じました。
──総合格闘技の強豪国といえば、米国やブラジルが知られています。両国の選手は参加していなかった?
佐藤 去年までは出ていたみたいですけど、今回は出ていなかったです。大会運営の上層部が今回から変わったことに伴い、ルールも変更になったと聞きました。そのせいで大会前日のルールミーティングから揉めに揉めていました。現地の会話はロシア語が基本。日本修斗協会から僕ととも派遣された横山忠志コーチは英語はOKだけど、ロシア語のやりとりだけだと、何を話しているのか分からないことが多かった。午前9時集合と聞いて真面目にオンタイムに会場入りしたら、6時間待ちという日もありました。
──パンクラチオンとは、もとは古代ギリシャで行われていた総合格闘技でした。競技として復活したパンクラチオンの歴史は?
佐藤 10年くらいあると聞きました。現地で修斗を知らない人がいたと同じように、我々が知らないだけであって、ロシア圏ではパンクラチオンをやっている人が意外と多いのかもしれません。
──今後、競技として発展する可能性は?
佐藤 アスリーマの方は、道着が薄くて試合中によく切れていたので、中途半端な印象を受けました。打撃をライトコンタクトにすれば、伝統派空手やテコンドー出身の選手も入ってきやすいんじゃないですかね。個人的にはパンクラチオンの方が発展していく可能性が高いと思いました。パンチやキックがクリーンヒットしたらポイントが加算されるルールは見た目にも面白い。
──来年も世界選手権は開催される見通しですか?
佐藤 場所は決定していないけど、来年も開催すると聞きました。せっかく世界選手権をやるなら、ヨーロッパ選手権やアジア選手権もやってほしい。
──話が来たら、来年も選手を派遣したい?
佐藤 1勝もできないまま終わるのはまずい。アマチュア修斗とはだいぶルールが違いますが、この大会に出場すれば選手の経験にもなる。今回はほとんど何も分からない状況で選手を派遣しましたが、ある程度イメージはつかめました。話があれば、次はフルメンバーで挑みたい。
佐藤ルミナ(本名・佐藤留美奈) 1973年12月29日、神奈川県生まれ。高校卒業後、木口道場で総合格闘技の道へ。日体大入学後、総合に生かすため短期間だがレスリング部に在籍した。 1994年11月にプロ修斗デビュー。「おしゃれな格闘家」の元祖であり、数々のファッション誌にモデルとして登場。「格闘技=ダサイ、男臭い」などのマイナスイメージを払拭して修斗の人気獲得に貢献。2004年には環太平洋ライト級王者に輝いた。 総合格闘技イベント「PRIDE」や「HERO‘s」などが中量級をスタートさせたことで、修斗からも多くの選手が流れたが、あくまでも修斗を愛し、2014年5月に引退するまで修斗一筋だった。現在は小田原市で総合格闘技道場「roots」を運営。 |