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2019.02.12

【特集】76歳にして「新しい人生が始まりました」…館林市議会議員として活躍する元世界王者・森田武雄さん

(文・撮影=樋口郁夫)

関東高校選抜大会を観戦する森田武雄さん(右)と群馬県協会・米山守副会長

 日本人男性の平均寿命が「81.09歳」(2018年=厚生労働省調べ)となった現在、「76歳」には、どんなイメージを持つだろうか。「仕事をリタイアし、孫の成長を楽しみにする悠々自適の生活」か、「“終活”に励み、家族に迷惑をかけないフィナーレを目指す」か-。

 いろんな生き方がある中、76歳となった今、「私の新しい人生が始まりました」と宣言する元世界チャンピオンがいる。1969年にアルゼンチンで行われた世界選手権のフリースタイル62kg級で優勝した森田武雄さん(群馬・館林高~明大卒)。全国高体連レスリング専門部の理事長を9年間務め、高校レスリング界の発展に尽力した。

 昨年10月、当時75歳で群馬・館林市の市議会議員選挙に初出馬。地縁・血縁が強い地域で、親や恩師などの組織票を引き継ぐ形でないとなかなか当選できない中、レスリング人脈を駆使して見事に当選。議員としてスタートを切った。

 「仕事も肩書きもない人間が何かをしようとしても、相手にしてもらえないんですよ」。57歳にして館林商工高校の教員を退職し、レスリングの最前線からは離れたが、故郷・館林のレスリングの発展に寄与したいという気持ちはあった。しかし、市を動かすには一般市民一人の力では何もできない。「議員の中にレスリングに理解のある人はいなかったんです」。

選挙のプロはいない闘い、レスリング人脈で勝利!

 来年8月、館林市でレスリングのインターハイが実施されることが決まっていた。「大会は開催できるでしょうが、行政の支援がなければ何かと支障が出る」との気持ちが、立候補という挑戦を決意させた。

1969年世界選手権で優勝した時の森田さん(中央)=本人提供

 館林では、1969年(昭和44年)にもインターハイが行われた。それに向けて教員として採用され、レスリング活動を続けさせてもらったという恩義がある。1969年の世界選手権は南米ということで自己負担金は63万円。大卒の初任給が2万5,000円の時代で、県の協力がなければ参加できなかった。「地元への恩返し」という気持ちがあったのは言うまでもない。

 18人の定員に20人が立候補。獲得した票は977票で、16位当選だった。トップ当選者は2,755票。地盤と組織が大きな要素を占める地域で、選挙のプロがいない中で意地を見せた当選だった。

 トップ当選も最下位当選も議員としては平等。活動に支障はない。「私に入れてくれた票は、熱い票だったと思っています。1票が10票分の価値がある」。周囲は「組織や地域に縛られない分、自由な活動ができますよ、と言ってくれる」とのこと。

 教員を退職したあと、65歳まで別の仕事に従事し、その後10年間の“充電期間”を経ての再起。充電期間と言えば聞こえはいいが、「年金暮らしで、何もやっていなかったですよ」と笑う。妻が病気となり、その看病にも追われて、社会の第一線からは退いた場所での生活だった。最愛の妻は5年前に他界。「子供はノータッチ。反対する人はいませんでしたからね」と振り返る。

目標の一人は、86歳で南米最高峰を目指した三浦雄一郎さん

 レスリングをやってきた中でお世話になった人の何人かは、今の森田さんの年齢になる前に鬼籍に入っている。八田一朗・元日本協会会長は75歳、群馬県レスリングを支えた正田文男・元県協会会長は73歳、同じく県レスリングを支えた野木村浩・元会長は75歳、明大の笠原茂・元部長は56歳…。

 アルゼンチンの世界選手権でともに金メダルに輝いた田中忠道・福岡大元監督は6年前に68歳で亡くなった。明大主将を務めた森田さんを副将として支えた齋藤昌典(マサ齋藤)も昨年、旅立った。

全国高体連専門部理事長時代の1991年12月、機関誌の企画で、専門部役員と高校レスリング界の発展への座談会に臨んだ森田さん(右から2人目)

 もちろん、元気な人もいる。1964年東京・1968年メキシコの両オリンピックで金メダルを取った小幡(旧姓上武)洋次郎さんは、館林高校の同級生。今も館林高校のレスリング場に連日顔を出し、熱烈な指導をやっている。森田さんは、さすがにマットに立つことはないそうだが、特に病気はなく、議員任期の4年間は間違いなく務められるだろう。健康の秘訣を聞くと、「くよくよせず、ストレスをためないことが一番じゃないですかね」。

 目標とする人の一人は、登山家の三浦雄一郎さん(86歳)。結果として断念したが、先月、南米最高峰アコンカグア(標高6,961m)の登頂とスキー滑降に挑んだ“鉄人”で、失敗にめげず、エベレスト挑戦を宣言している。他に、昨年夏、山口県で行方不明になった2歳の子供の捜索にボランティアで加わり、見事に見つけ出した尾畠春夫さん(78歳)も、頑張る姿から「勇気をもらいました」と言う。

 「あの世に行っておかしくない年齢なんですよ。まじめに生きて、何でそんなに早く、と思う人も多い。亡くなった人の残り(のエネルギー)をもらって頑張ります」。76歳で新たな人生に挑む姿勢は、多くの人の共感を呼ぶことだろう。







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