東京オリンピック前の最後の全日本選手権。46歳で出場したオリンピック銀メダリストの永田克彦だけでなく、49歳、48歳、44歳のベテラン選手が出場。衰えぬ情熱を見せた。
先陣を切ってマットに上がったのが、1992年全日本選手権3位の実績を持つ男子グレコローマン55kg級の浅川享助(山梨・北杜クラブ)で、48歳0ヶ月でのマット。初戦、ポイントの取り合いの末、見事に勝利をおさめた。2回戦では徳山大の選手にテクニカルフォールで敗れたが、「勝たなきゃいけないというプレッシャーがない分、準備してきたことはできました」と振り返った。
3位となった山梨学院大時代の1992年全日本選手権では、自らはバルセロナ・オリンピック出場はなからなかったが、同階級に出場した大学の先輩の大橋正教(現ALSOK監督)のオリンピック出場をアシストする形となり、同大学初のオリンピアン誕生に貢献した。
卒業後、大会出場は離れたが、北杜レスリング・クラブでキッズ選手を指導するかたわら、全日本マスターズ選手権には出場し、5度優勝の成績を残してきた。こうした大きな大会に出るつもりはなかったが、長男が大学受験を控え、長女が社会に出ようとする年齢となり、「親として何かを見せ、刺激を与えたい」として決意した。
前年までの最年長出場記録は、湯川栄光の「47歳9ヶ月」。記録更新と思っての出場だったそうだが、歴代2位となった(後述)。「川口さんの記録を更新するには、2年後に出ないとならない」と苦笑しながら、「今回、手応えがありました。全日本選手権に出たことで、頑張ろうと思う人が出てくれることが私の楽しみでもあります」と、出場継続の気持ちは十分。
49歳10ヶ月で最年長記録保持者となった川口智弘(三重・松阪クラブ)は「ホームページに(最年長と)取り上げられて、減量失敗で出られなかったらどうしようかと思いました。出られてよかったです」と苦笑い。初戦で自分の子供(27歳、25歳)の年齢より下の選手相手に敗れたが、「若い選手とやれればいいと思っていたので、よかったです」と振り返った。
松阪工業高校でレスリングをやったあと、しばらく空いて、34歳の時に松阪クラブで再開。それから続いているという。大きな実績はないが、2012年に全日本選手権に出場しており(田野倉翔太に完敗)、パンクラチオンの大会にも出場経験があるなど、闘うことがこのうえなく好き。この年齢までやっている理由を問われると、「好きだからだと思います」と即答。クラブの環境が合っていることも要因だと思う。
浅川の試合が先にあり、勝つところを見ていたという。「すごいなあ、と思いました。(浅川の相手は)10月の社会人オープン選手権の決勝で(自分が)負けた相手だったんです。刺激になりました」と話し、今後も出場を目指しそうな雰囲気。
男子フリースタイル70kg級の本名栄仁(新潟・巻っずクラブ)は、初戦で敗れながら、翌日の敗者復活戦にも出場することになった44歳。日体大時代には団体戦のレギュラー選手として活躍し、1997年全日本学生選手権優勝の実績を持つ。
22年も経てば、学生時代のようにはいなかい。「若い人は、みんな強いですね、昔の感覚でやっていても、体力が追いつかない」と苦笑しながらも、気持ちよさそうな汗をぬぐった。地元でキッズ選手にレスリングを教えており、「先生として闘う姿を見せてやりたかった。日本で最高の大会。出られることだけでもすごいことなので、子供達にその姿勢をつなげさせたい」との理由で出場した。
全日本選手権出場は大学卒業後、初めてという。出場資格を得た年もあったようだが、けがもあって出場できず、22年ぶりの舞台。「やっぱり緊張しますね。でも、いい経験になります。けがだけは十分に注意しました」と言う。
オリンピック選手を、のべ13人輩出した新潟県だが、今大会は唯一の新潟県出身選手となった。「ジュニア(キッズ)はそこそこ育っています。うまく高校につなげていければいい」と、レスリング王国復活の気持ちは十分。「可能性があれば、また出たいです」と、自身の挑戦も継続間違いなし!
(注)敬称をつける立場の人ですが、全日本選手権の記事であるため、敬称なしとします。