(文=共同通信記者・森本任)
レスリング、アマレスという単語は、幼少の頃から頭の中に刻まれている。サンダー杉山、マサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力、谷津嘉章、馳浩…。レスリングのオリンピック代表からプロレス入りという道にあこがれた。残念ながら家の近所にレスリング教室はなく、同じ格闘技の柔道を始めた。
高校時代に柔道とレスリングの二刀流選手と練習する機会があった。柔道で難なく勝てたが、道着なしでスパーリングをすると大苦戦。タックルは切れないし、寝技でも回された。その選手ですら、レスリングではインターハイ出場が精いっぱいのレベル。
レスラーは強いな。その思いを抱き続け、記者として担当となり、より感じるようになった。
レスリングの強さとは何か―。まずは過酷な練習に裏付けられたフィジカル面の強さだろう。科学的なウエートトレーニングに加え、自重負荷やパートナーと組んでの多種多様なメニュー。バック転などを軽々とこなす運動神経の良さも備える。
それでも世界では簡単に勝てない。選手の涙を何度も見た。2006年世界選手権(中国)の男子グレコローマン84kg級の松本慎吾(現日体大監督・日本協会男子グレコローマン強化委員長)の奮闘を思い出す。2004年アテネ・オリンピック7位、2005年の世界選手権は8位。重量級で外国勢と渡り合い、メダルを期待された。
この大会では欧州選手に2勝したが、準々決勝でジョージア選手に惜敗。「体力的には負けなかった。あとわずか、壁を越えなければ」と言葉を振り絞った。オリンピックや世界選手権のメダルに届かなかったが、アジア大会優勝などの実績を持ち、引退後は指導者として世界トップクラスの選手を育て上げている。
リオデジャネイロ・オリンピックを控えた2016年初夏、日体大の道場でオリンピック代表の太田忍(ALSOK)と当時学生の文田健一郎(現ミキハウス)が激しいスパーリングを行い、松本監督が見守っていた。
太田が投げれば、文田もすぐに反撃。太田が額から出血したが、拭き取ってテーピングを巻いて続行し、文田が躊躇なく攻める。松本監督は「負けず嫌いの2人だから、ぎりぎりまで闘わせます。強くなるには安易にリミットをつくらない方がいい」とぽつり。
負けず嫌い―。これも日本レスリングの伝統の強みだ。ライバル同士が、時には人間関係の悪化さえも招きながら切磋琢磨する。以前、オリンピック金メダリスト同士の対談を企画したことがあったが、双方から「無理です」とあっさりと断られた。現役時代から、お互いに怨念に近い感情を持ち続けている。ただ、レスラーとしてはお互いに最高の評価を与え、認め合っていた。
リオデジャネイロ・オリンピックでは、太田はあと一歩で金メダルを逃した。銀メダルの喜びよりも悔しさが上回っていた。すぐに東京オリンピックでの雪辱を誓った。トレーニング・パートナーとして支えてきた文田は、神妙な顔つきで「世界は甘くない。今の自分でも絶対に無理です。東京では自分が金メダルを取ります」と堂々と言ってのけた。
その後の激戦は言うまでもないだろう。太田がいたからこそ、文田は世界チャンピオンとなり、東京オリンピック代表の座を射止めた。
レスリングは激しく、魅力的なスポーツだと思う。アスリートとしてのレスラー、マット上の闘いは本物だ。まだまだ世間には届いていない。SNS時代に対応した一層の普及活動、情報発信が必要になる。
最近ではシングレット廃止論が話題になっている。恥ずかしいからレスリングを続けられない、なんてもったいない。こういう時も、レスラーや関係者の率直な意見を聞いてみたい。競技の激しさ、公正さを失わなければ、もっと冒険していいと思う。
森本任(もりもと・まこと)1975年生まれ、大阪府出身。1998年入社。レスリング取材は2005年から。2008年北京と2016年リオデジャネイロのオリンピックのほか、世界選手権、アジア大会なども取材。プロ野球、米大リーグ、大相撲、柔道、ボクシング、スキーなども担当。2011~14年は米国特派員。 |
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