(文=東京スポーツ新聞・渡辺学)
私も何事かを吠えた(もう覚えていないが…)。日付が1991年12月31日から92年1月1日に変わる頃、伊豆大島でバルセロナ・オリンピックに向けた越年合宿に臨んでいた選手たちは、深夜の山道を走り、神社で必勝を祈願した。
その後、個々に新年への思いのたけを叫ぶことになり、取材者である私にもお鉢が回ってきたのだった。
前回のソウル・オリンピックに際しては、500日合宿を敢行したレスリング。バルセロナへと続く道のりは険しく、1991年世界選手権(ブルガリア)では32年ぶりの「メダルなし」の屈辱を味わった。
東京・竹芝ターミナルから大型客船で6時間(高速ジェットで1時間45分)のところにある伊豆大島に集まった選手たちは、初詣ランから夜が明けるや、伊豆の海に飛び出し、寒中水泳や騎馬戦で士気を高めた。マット練習は、当時プロレス界を席巻したSWSの道場。みんなでついた餅、寄せ書き、騎馬戦勝者へは“お年玉”も。その内容は記事執筆(当時はリアル手書き→FAX送信)で取捨選択に困るほどバラエティーに富んでいた。
1996年のアトランタ・オリンピックへの年越し合宿は山梨・甲府市で、やはり「ゆく年くる年」の放送頃に神社へと駆けた。2000年シドニー・オリンピック前の伊豆稲取合宿を経て、21世紀になっても、2004年の新年は茨城県大洗海岸、2008年は東京のお台場海浜公園で寒修行を行った。
だが、同年にナショナルトレーニングセンター(NTC=現味の素トレセン)が開所して以降は、恒例のオリンピック・イヤー越年合宿は、味の素トレセンでの実戦的練習が中心になっているようだ。
冒頭の大島合宿に戻ると、参加選手がこう語っている。「正月に合宿をした、という気持ちが大切です。正月にやった練習はすごく自信につながる。寒中水泳とかやって、これで強くならないとバカらしいですよ」
実は、大島での合宿には不参加組もいた。儀式めいた内容に背を向けたのか。独特のスタイルにはコーチ陣から「否定も肯定もできるけれど、『何かをやった』という気持ちは胸に残る。けじめをつける意味で、こういう合宿もいいと思う。人間、燃える時は徹底して燃えないと。たまにはバカにならなきゃ」との声が聞かれた。
私は何も“古き良き時代”を懐かしんでいるのではない。他の競技ではまず見られない発想とその実行はレスリングならではであり、大事にしてもらいたいと思う。
実際、レスリングは「奇抜さ」の宝庫と言える。古くは、動物園でライオンとにらめっこし、沖縄や奄美大島名物のヘビとマングースの対決ショー(現在は動物愛護法によって禁止)の見学、真夜中にたたき起こして行ったという合宿練習、自衛隊空挺団でパラシュート降下練習、富山での滝打たれ、茶&黙想修行…。
1991年のフリースタイル・アジア選手権では、選手らが開催地ニューデリーの動物園を訪れる機会があり、ライオンとのにらみ合いを果たそうとしたコーチがいたことが記憶に残っている。
こうしたエピソードを、我々メディアは「八田イズム」(関連記事)とくくって、「ネタになる」と面白がりがちだ。その根底にある強化につながる発想力に、もっと目を向けるべきだったと今さらながらにして思う。
かつては「寝技選手権」が実施され、実現はしなかったと思うが、「タッグマッチ」導入がぶち上げられたこともあった。奇抜さを見せるのはオリンピック・イヤー越年合宿でなくても、いくらでもその機会はあるだろう。
新型コロナウィルスのため、2年連続でオリンピックの年を迎える珍しい経験をするアスリートたち。レスリングでは常識を超える何かを見たい。
渡辺学(わたなべ・まなぶ)1990~94年頃までレスリングを継続的に担当し、インド、イラン、ブルガリアなどの遠征に同行。2001年頃まで散発的に取材。他にゴルフ、ラグビー、陸上、アメリカンフットボール、サッカーなどを担当。オリンピックの現地取材は夏季1回、冬季3回。運動部、文化部のデスクを経て、現在は編集局次長兼法務広報室長。 |
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