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2020.06.20

【担当記者が見たレスリング(8)上】父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ記者=神奈川大OB)

(文=フリーライター/元東京スポーツ記者・高木圭介、神奈川大レスリング部OB)

 「アマレスは21世紀のメジャースポーツだ!」--。

 これは1990(平成2)年に創刊された『月刊レスリング』の表紙左上に記されていた名コピーである。あれから30年。プロレスありきの「アマレス」という名称に、今や懐かしさすら感じつつ、レスリングを取り巻く大きな環境の変化を感じる。

東京スポーツ(下中央)が仕掛けた肩車だが、発行時間の関係で朝刊スポーツ紙に奪われる! 浜口京子の知名度は、週刊誌の表紙にも扱われるほどになった=1997年7月

 私はスポーツ紙(東京スポーツ)記者時代、プロレスの担当が一番長かったものだが、21世紀生まれの子どもたちに「知っているプロレスラーか、アマチュアのレスリング選手を言ってみよ」と問いたら、おそらくアマチュア選手、もしくは関係者の知名度が勝つのではないか? そんなことは1990年代には考えられなかった。

 1997年7月、世界女子選手権(フランス・クレルモンフェラン)への取材出発前、デスクから指示された言葉を思い出す。「誰が優勝しても、女子レスリングだけの話題じゃ、たいして大きな記事にはならんから、とにかく(読者人気の高い)プロレスにからめた記事を作ってくれ」とのこと。

 それには、父が人気プロレスラー(アニマル浜口)でもある浜口京子が最適だ。1995年(ロシア・モスクワ=13位)、96年(ブルガリア・ソフィア=7位)と70㎏級で世界選手権に出場していた浜口は、その年から最重量級の75㎏で出場。仮にメダルでも取れば「浜口京子プロレス入り?」など、プロレスにからめた記事を作ることも可能。まだ女子レスリングがオリンピック種目ではなかった時代、こう考える方がむしろ自然だった。

プロレスをからめなければ記事にならなかったレスリング

 決勝戦のあった7月12日は土曜日。日曜の新聞発行がない東スポにとって鬼門の日程だ。たとえ浜口京子が金メダルを取ろうとも、日程的に1日遅れの報道となってしまう。そういった場合、何か特別なネタでも仕込まない限り、大きな記事どころか、小さな記事にすらならないのが東スポの鉄則だ。

準決勝で世界V5の中国選手、決勝で米国選手を破り、19歳で世界一に輝いた浜口京子=撮影・矢吹建夫

 というわけで、私はその年に柔道からプロレス転向の小川直也選手を取り込んで「世界格闘技連盟」構想を掲げていたアントニオ猪木氏(当時新日本プロレス会長)や、全日本女子プロレスの松永高司会長(故人)にお願いし、あらかじめ浜口京子獲得に向けたコメントをいただいた上でフランス入りした。

 日本から現地入りした報道陣は、東スポの記者(私)とカメラマン、全日本女子連盟の広報を務めていた雑誌「ワールド格闘技」の樋口郁夫さんと矢吹健夫カメラマンの4人のみ。新聞としての取材は東スポのみだが、連盟の広報が通信社にニュースを配信するのは当然のことなので、試合結果が東スポの独占とはならないからくりだ。

 試合は、前年覇者の宮崎未樹子(62㎏級)が7位、浦野弥生(68㎏級)が4位となる中、75kg級の浜口が見事に優勝。日本人選手唯一の金メダルを獲得した。

 最重量級の決勝戦は、いわば大会のメーンイベント。樋口さんとともに記者席にいた私は、2人で特別コーチのアニマル浜口さん(アニマルパパ)に「写真撮りたいんで、マットに上がりましょう!」と促した。

愛娘を肩車する名ショットがスポーツ紙のトップページを飾る!

 セコンドがマットに入るのは、厳密には「反則」だ。多くの人が知らぬことではあるが、アニマルパパは、プロレスラーとしてスイッチオンしていない時、テレビカメラ等が回っていない時は、物静かでなるべく目立たぬようにしているタイプ。私たちの申し出にも「アマチュアのマットでそんなこと…」と、拒否の姿勢だった。

アニマル浜口さんは75kg級の愛娘を5分近く肩車し、観客を沸かせ、報道陣にサービスした

 ところが、私たちに背中を押されていざマットへと上がったアニマルパパはすごかった。突然スイッチオンとなり、満面の笑みともに愛娘を肩車するや、会場に流れる「Y.M.C.A.」の音楽に乗ってステップすら踏んでいる。正面だけでなく、各方向に顔を向けてくれるので、他国のメディアも大喜びで写真撮影しまくっている。

 かくして、満面の笑みの父が、少しはにかみつつ手を上げる愛娘を肩車する名ショットがAP通信を通じて全世界へと配信されたのだった。日本の通信社へも、樋口・女子連盟広報から結果とコメントが伝えられ、翌日のスポーツ紙の一面は、ほぼ全紙がこのショットと記事で埋め尽くされた。

 浜口の決勝戦が「次の試合がない」最重量級であったこと、アニマルパパが75㎏級の娘をひょいと肩車できる体力の持ち主だったこと、そして瞬時に会場中の耳目を集めることなど「お手のもの」であるプロレスラーであったこと…など、数々の要因が重なったうえで実現した奇跡のショットだった。

 女子レスリングの記事がここまで大々的に報道されたのは初めてのこと。日本レスリングの父・八田一朗会長による有名な言葉「プロが栄えればアマも栄える」が時代を越え、浜口父娘によって証明される形となった。

 プロレスも応援するが、アマチュアのレスリングも応援。はるばるクレルモンフェランまで取材に出向いた唯一の新聞メディアの東スポはと言いますと…。《以下、次回へと続く》

《関連記事》日本レスリング協会80年史「レスラー列伝・浜口京子」

高木圭介(たかぎ・けいすけ)1969年。神奈川県川崎市生まれ。神奈川・法政二高~神奈川大時代はレスリング選手。1991年全日本寝技選手権で決勝まで進む(オリンピック代表の伊藤広道に黒星)。1993年、東京スポーツ新聞社に入社。主にプロレス、格闘技、社会事件、レジャー等を担当。デスクを経て2014年からフリーライターに転身。オリンピックは1996年アトランタ、1998年長野、2000年シドニー大会を取材。レスリングは各スタイルの世界選手権やアジア選手権を多数取材。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』など。

担当記者が見たレスリング

■2020年6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日:減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

 






2023年世界選手権/激戦の跡
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