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2020.06.25

【特集】「可能性を限りなく広げ、夢をつかんでほしい」(下)…“はい上がり度ナンバーワン!” WRESTLE-WIN・永田克彦代表

《「上」から続く》

 “補欠合格”とも言える形で日体大に進んだ永田克彦代表。エリート集団と思われている日体大だが、無名の存在からはい上がったり、他競技からの転向だったりの選手が数多くいるのも事実だ。

新人選手権優勝のあとは学生王者へ。そのあと全日本大学グレコローマン選手権でも優勝=写真は1994年8月の全日本学生選手権・決勝(新潟・新潟市鳥屋野体育館)

 1964年東京オリンピック金メダリストの花原勉(のちの部長・日本協会強化委員長)が、日体大進学後に柔道からレスリングに転向したことは有名だが、1972年ミュンヘン大会5位の田上高(1970・71年世界選手権3位)と1984年ロサンゼルス大会2位の長島偉之も柔道からの転向選手。1970年世界選手権2位の杉山三郎(中京女大=現至学館大レスリング部の創始者)も柔道からの転向者だ。

 柔道からの転向選手がレスリングに適応したのは日体大に限らないが、格闘技以外から転向し、全日本のトップレベルにまで力を伸ばした選手が何人もいるのは、日体大くらいだろう。山本郁栄(オリンピック代表=バスケットボール)、中森昭平(世界選手権6位=野球)、深水真司(全日本選手権2位=陸上)…。インカレで上位入賞の選手を挙げれば、さらに多くの選手がいる。

 「0からのスタート」の選手でもトップレベルに行ける事実が、永田代表の背中を押した。「強くなるために必要な要素を自分の頭で導き出した。自分に足りないものは体力」と思い、毎日の全体練習が終わった後、一人でトレセンに向かい、筋力トレーニングに励んで体力アップに挑んだ。

強くなるためには、「周囲の空気を読まないことも大事」

 「一人で取り組むのは、勇気がいるんですよね」。弱いのに何をやっているんだ、といった冷ややかな声も聞こえてきたが、「周囲の空気を読まないことも大事。見返してやるという反骨エネルギーもありました」と言う。

「君には無理だよ」という人の言うことを聞いてはいけない。多くの人が、僕にも君にも「無理だよ」と言った。
彼らは君に成功してほしくないんだ。なぜなら、彼らは成功できずに途中であきらめてしまった。
君にも、夢をあきらめてほしいんだ。不幸な人は、不幸な人を友達にしたいんだ。決してあきらめては駄目だ。
(バスケットボールのスーパースター、マジック・ジョンソン)

 あきらめずに続けていくことで、少しずつ身体ができてきた。レスリングは、前に出て攻める体力が絶対に必要。体力がついたことで差し、押しが強くなり、パッシブを取る(相手に科す)ことができるようになった。

1997年6月の全日本選抜選手権で優勝。この年から3年連続で全日本の2大会を勝ち続けた=岩手・宮古市民総合体育館

 筋力がついたことでローリングの技術も向上。そうなると、「差し押し→ローリング」という勝ちパターンが確立する。1年生(1992年)秋の新人戦3位を経て、2年生秋の新人戦で優勝し、東日本のタイトルだが、曲がりなりにも初のチャンピオンを獲得。翌1994年は日体大のレギュラーを取り、学生の2大大会(全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権)を制覇。無名の選手が2年半で大学のナンバーワンに輝くことができた。

 その後は、1997年6月の全日本選抜選手権で初めて日本一の頂点に輝き、同年の全日本選手権でも初優勝。ともに3連覇し(最終的に全日本選抜選手権は7度優勝、全日本選手権は6連覇のあと、2015年に42歳で7度目の優勝)、2000年アジア・チャンピオンを経て、オリンピックの銀メダルを獲得した。

 オリンピックで勝負だったのは準決勝だ。相手の欧州選手権V2のアレクセイ・グルチコフ(ロシア)のことは、ビデオによって徹底的に研究しており、攻撃パターンを読み切っていた(グルチコフは、 “弱小”日本の前年世界選手権30位の選手のことなど、ほとんど研究していなかったのではないか)。

 ここでも、大きな役目を果たしたのが「考える力」だ。恩師・藤本英男監督の「考えて練習できないヤツは、強くなれないんだよ」との言葉が浮かび上がってくる。

人間の持つ可能性は無限大! どの世界へ行っても挑戦を

シドニー・オリンピック準決勝で欧州V2のロシア選手を破る! この瞬間、日本のオリンピックのメダル獲得の伝統が続いた=2000年9月

 エリート教育を否定するつもりはない。現に、永田代表は「WRESTLE-WIN」を立ち上げてキッズ選手の指導に力を入れている。昨年の全国少年少女選手権では5階級を制し、ロータス世田谷(東京)とともに最多優勝数をマーク。キッズの2大全国大会とクイーンズカップ・キッズの部を合わせると、クラブ創立から10年でのべ30人のチャンピオンを輩出し、“エリート教育”を実行している。

 しかし、「勝利至上主義ではありません。何がなんでも勝つことが大事という教えもしていません。減量なんて、とんでもありません」と力をこめる。無茶苦茶な練習はさせていないし、出げいこも多くない。他のスポーツをやりたい子がいれば、無理に止めることはしない。「レスリングの経験を他の世界で活かしてもらい、『レスリングをやってよかった』と言ってもらえればいい」と言う。

 そのためには、「成し遂げた」という成功体験が必要と考えている。キッズ・レスリングは階級が多いので、「やるべきことをやれば結果を出せるスポーツ」と言う。首都圏では最大と思える部員数90人。「常に高い目標を持たせ、勝ちたい、強くなりたい、という気持ちを持って頑張らせ、チャレンジすることを大切にする」との方針が選手を引き付けていることは言うまでもない。

「WRESTLE-WIN」でキッズ選手を指導する永田克彦代表(チーム提供)

 キッズ選手にもグレコローマンの技術を教え、欧州のようにグレコローマンの選手を数多く育成する目標へも挑戦中。日本ウェルネススポーツ大学の監督を引き受け、無名選手や大学からレスリングに取り組む選手の指導も手がけ、普及にも尽力している。

 自身は、2015年に42歳で全日本選手権を制し、日本最年長の全日本王者になっている。「昔から、人がやらなかったことや、できなかったことに対して、『やってやる』という気持ちが強かったんですよね」。そのベースの上に積まれたのは、シドニーで銀メダルを取ったあと、恩師(藤本監督)に言われた「金メダルは放っておいても錆びないんだよ。でも銀メダルはすぐに錆びてしまうから、一生磨き続けなければならないんだよ!」という言葉だ。

 日本レスリング界の“はい上がり度”ナンバーワンの指導者は、これからも挑戦を続け、人間の持つ可能性は無限大であることを伝えてくれそうだ。


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