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2020.08.08

【担当記者が見たレスリング(14)】マイナーからメジャーへ変貌! 選手はもっと主張していい…山口大介(日本経済新聞)

(文=日本経済新聞・山口大介)

2002年6月の全日本選抜選手権(当時は男子のみの大会)。マットステージはなく、ひな壇席もなく、役員席はフロアにテーブルだった

 初めてレスリングを取材した日のことは、今も鮮明に覚えている。2002年6月14日、全日本選抜選手権最終日。会場の東京・代々木競技場第2体育館は、あるアナウンスに湧き上がった。

 「サッカー日本代表が、チュニジアに2-0で勝ちました!」

 この時、日本列島は2週間前に開幕した日韓ワールドカップ一色に染まっていた。しかも、この日は1次リーグ最終戦。初の決勝トーナメント進出が懸かる日本戦の行方は、サッカーファンのみならず、国民的関心事だった。とはいえ、違う競技の結果を場内アナウンスで知った記憶は、後にも先にもこの1度きりだ。牧歌的というか、いかにも人肌を感じるレスリングらしい思い出である。

 記者席は寂しかった。記憶する限りでは自分を含めて3人。もう1、2人いたかもしれないが、この年の世界選手権とアジア大会の代表が決まる試合にしては少な過ぎた。サッカー日本戦とぶつかったせいもあったに違いないが、それだけが理由でもなかっただろう。

 2年後のアテネ・オリンピックで女子が種目に採用されることが決まっていたが、吉田沙保里選手や伊調馨選手が世界選手権にデビューする前のことだ。男子は1988年ソウル・オリンピックを最後に世界一から遠ざかっていた。レスリングに対する世間の関心はまだまだ低かった。

取材を歓迎してくれ、4時間にも及んだアニマル浜口さん取材

 もっとも、そんなマイナー感がスポーツ記者になったばかりの当時の自分を駆り立ててもくれた。プロ野球やサッカーに自分の出番はなく、記事が書けそうな競技を探し歩いていた。長い歴史と栄光を誇る日本レスリング界には失礼な言い方になるが、踏み荒らされていない感じがしたのだ。

人当たりのよさと、ていねいな対応に、取材した記者はだれもがファンになるアニマル浜口さん

 実際に足を踏み入れたレスリングの世界は、記者にとって予想以上に魅力的なフィールドだった。とにかく関係者の皆さんが取材を歓迎し、暖かく接してくれた印象が強い。

 例えば、アニマル浜口さん。アテネ・オリンピック前、妻の初枝さんの実家である浅草の小料理屋で、カウンターを挟んでの取材は延々4時間にも及んだ。娘・京子選手の話はいつしか自身の生い立ちへ。

 父が商売に失敗して一家離散し、親せきや兄弟を頼って転々とした苦しい記憶をたどりながら、「だから、自分が父になったら、子どもの心に灯をともしてやるのが務めだと心に決めていたんだ」という言葉は、胸にストンと落ちた。すでに知らない人のいない有名人でありながら、気さくで、ていねいな対応にとても感激した。

 取材の機会は、試合や合宿にとどまらず、懇親会のような場もたくさん設けられた。北京オリンピック・イヤー(2008年)の元日は恒例の年越し合宿。お台場の海に飛び込んだ選手と一緒に入った風呂で、湯気の向こうに見たギリシャ彫刻のような肉体は忘れられない。

取材のハードルは上がったが、メジャーになった証し

2008年元旦、台場での寒中水泳のあと、報道陣も大江戸温泉で入浴。その後、正月を楽しんだ

 担当記者として選手や現場を追いかけたのは2010年全日本選手権まで。最後の頃は、大会や合宿に行くと、いつも記者で膨れ上がっていた。取材のハードルは少しずつ上がり、かつてのように気軽にコンタクトを取れることは少なくなったが、それはレスリングが人気を得た証し。選手の待遇や環境が向上するのは素晴らしいことだ。

 担当を離れた後、2012年ロンドン・オリンピックで米満達弘選手が金メダルを取り、その後も文田健一郎選手や乙黒拓斗選手が世界チャンピオンに輝いた。国際大会では男子の記事を書く機会になかなか恵まれなかった身としては、隔世の感がある。

 女子も当時から「吉田、伊調がいなくなった後が心配」という声が囁かれていたが、しっかり後に続く選手が出てきている。

選手の声に耳を傾け、魅力あるレスリングを育ててほしい

 そんな選手たちの頼もしさの半面、レスリングという競技自体はまだまだ魅力を生かしきれていない気もする。取材していた頃、一番苦労したのがコロコロ変わるルールを覚えることだった。

今年5月、SNSで盛り上がり、デイリー・スポーツが報じたシングレット問題《pdfファイル》

 外野の人間からしても「これで選手は納得いくだろうか」と思うようなルールがあった。0-0で同点の場合はくじびき抽選で攻撃権が決まった。あの当時に比べてルールはかなり改定されが、この競技ならではのスケールの大きさ、ダイナミックさが伝わっているだろうか。

 その意味では、最近のシングレットに関する議論は久々にレスリングの話題で関心を持ったものだ。伝統を否定するつもりはないが、もっと格好いいユニホームがあるのではないかと昔から思っていた。しかも、意見が選手から広がっているのがいい。

 実は、自分が取材していた頃、選手たちから協会や競技への提言・意見はほとんど聞いたことがなかった。色々な経験を経て、レスリング界も変わりつつあるようだ。最も競技を愛しているはずの彼ら、彼女らの声に耳を傾け、魅力あるレスリングを育て続けてほしい。

山口大介(やまぐち・だいすけ)1973年生まれ。神奈川県で育つ。1997年、日本経済新聞社入社。柔道、陸上、体操、卓球などオリンピック競技を主に取材し、夏季オリンピックは2004年アテネ大会から2016年リオデジャネイロ大会まで4大会取材。レスリングはアテネ、北京大会を取材した。現在は運動部デスクで東京オリンピック・パラリンピックを主に担当。

担当記者が見たレスリング

■8月1日:今はオンライン取材だが、いつの日か発信力を取り戻してほしい…牧慈(サンケイスポーツ)
■7月25日:IOCに「認められる」のではなく、「認めさせる」の姿勢と誇りを…森田景史(産経新聞)
■7月19日:弱さを露わにした吉田沙保里、素直な感情と言葉の宝庫だったレスリング界…首藤昌史(スポーツニッポン)
■7月11日:敗者の気持ちを知り、一回り大きくなった吉田沙保里…高橋広史(中日新聞)
■7月4日: “人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)
■6月27日: パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日: 減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)







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