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2020.11.07

【特集】3つの高校でレスリング部を創部、いずれも全国大会へ出場させ、来春勇退する名伯楽・三村和人監督(京都・日星高)《下》

《上から続く》

【上】創部4年目の2008年秋、海洋高は強豪の京都八幡を破る。手前右が三村監督。【下】全国大会初出場を成し遂げた海洋高=三村監督提供

 海洋高での2年目には、網野高時代の教え子でもある国士舘大卒業の三浦力哉氏が赴任し、現場の指導を任せることで、自身は生徒指導部長として生活面を中心に担当。公私にわたる丹念な指導でチーム力がぐんぐん伸び、学校のムードも変わった。2008年秋の全国高校選抜大会・京都府予選では、高校五冠王者(北村公平)をかかえる京都八幡高を撃破。その勢いで全国大会出場を果たすことができた。

 網野高の時と同じで、創部4年目の悲願達成。「八千代松陰(千葉)が相手でした。2人のポイントゲッターがいたのですが、八千代松陰はその2階級が不在でしてね。(不戦勝で2勝したものの)主力が闘わないことで、波をつくれませんでした」と、網野時代の初出場の時と同じく、その時のことがすらすらと出てくる。

 レスリング部の活躍とともに学校のムードもよくなった。キッズ教室を立ち上げて、ここでも一貫強化を実施すると、宮津市がレスリング部の功績を評価。宮津市長杯という冠大会を主催。公営の宿泊施設にレスリングのマットを購入してくれ、冷暖房完備の合宿ができる環境もつくってくれた。

 その中から、今井海優・佑海の姉妹(現在は自衛隊と日大=ともに2018年世界ジュニア選手権優勝)らの強豪選手が生まれた。2013年3月の全国高校選抜大会で、チームをベスト8にまで勝ち上がらせたあと、やはり人事異動の公募制度を使って2015年8月にインターハイが開催される舞鶴市の東舞鶴高校に転勤。インターハイ開催に備え、無事に成功させた。

部員7人で古巣に勝利、全国大会へ出場

 その後、体育館のすぐそばにあり、大会では補助員や歓迎アトラクションなどで協力してくれた私立の日星高校がレスリングに強い情熱を持ってくれ、「残された教員生活の最後をここに賭けてみよう」と、公立から私立へ“転職”。3度目の“スタート”に挑むことになった。

7人の部員で、全国大会初出場を果たした京都・日星=三村監督提供

 残された期間は「5年」。過去2度の経験も役に立ったと思われ、4年目の昨年秋、予選を勝ち抜いて全国大会への出場を決めた。舞鶴市にはインターハイ開催へ向けてキッズ教室もできており、ベースはできていた。東京オリンピックへ向けてウズベキスタンのホストタウンとして名乗りを挙げ、スポーツにかける熱意もあった。埼玉・花咲徳栄高~日大卒の山田来哉氏が同事業のため期限付き職員で赴任。海洋高の時と同じく指導を任せられるなど条件はそろっていた。

 目標は、自分が作った網野や海洋だ。昨年春の近畿大会では網野と海洋が決勝を闘うことになり、「自分のつくったチームが、近畿大会の決勝で闘うことになって、うれしかったですね。ウチは1回戦負けでしたけど」と笑う一方、「吉岡監督や三浦監督の頑張りが支えになりました」とも言う。

 個人戦51kg級では日星の池田拓人が優勝しているのだから、この頃から全国での闘いが視野に入っていたのではないか。昨年秋の京都予選の時は、7人しか部員がいなく、そのうちの1人は多くの減量をさせての出場。そんな中での3度目の全国大会初出場達成で「うれしかったですね」と振り返る。

「引き際が大事」と、来春、次代へバトンタッチ

 前2回も初出場を決めたのは4年目の秋。奇しくも、すべて「4年目の悲願達成」だった。そのうれしさも、新型コロナのため封印せざるをえない流れとなった。三村監督は、日本がボイコットした1980年モスクワ・オリンピックのことが頭に浮かんだという。

多くの選手の能力を引き出してきた三村監督=10月9日、新潟東総合スポーツセンター(撮影:保高幸子)

 「私はオリンピックにかかわる選手ではなかったのですが、高田(裕司)先生や富山(英明)先生、他競技の有力な選手の多くが本当に理不尽な感じで涙をのみました。あの時に比べれば、世界みんなが平等なわけです」。生徒には、「しっかり受け止めて前に進まなければならない」と伝えた。

 学校対抗戦での白星はならなかったが、最後の大会に参加できたことはよかった。学校では、午後3時からの埼玉栄高とのネット中継を生徒全員で応援してくれたそうで、試合終了後は選手にねぎらいのメールやラインが殺到。「学校全体が盛り上がってくれたみたいです」とうれしそう。

 厳密に言えば、来年3月時点はまだ教員なので、この大会には参加はできる。「もう1回、新潟に来られますかね」と、王者・霞ヶ浦に挑んだ思い出の地で教え子の闘いをもう一度見たいようだ。

 再雇用制度で、しばらく教員を続けることも可能。舞鶴クラブで指導した内田颯夏が今年からJOCエリートアカデミーに入るなど、キッズからの一貫強化が実りつつあるこれからが勝負という気もする。だが、「区切りが必要です。引き際は大事」ときっぱり。ずるずると今の地位にしがみつくことなく、当初から決めていた5年を区切りに後進に道を譲るという。「網野も海洋も、ボクが引いたから次(の指導者)が育ったと思っています」-。

支えてくれた多くの人たちに感謝したい

 1988年京都国体に始まり、1995年全日本女子オープン選手権(網野)、1997年インターハイ(網野)、2015年ジュニアクイーンズカップ(舞鶴)、同年インターハイ(舞鶴)と全国レベルの大会の運営にも数多く携わった。

のちのスーパースター(吉田沙保里)も闘った網野町の体育センター。大会招致による地元密着も、発展に必要な要素だ=1995年全日本女子オープン選手権

 オリンピックが延期となったことで、来年3月の退職のあとも、ウズベキスタンからチームを招く舞鶴市への協力をするが、その後は、まったく未定。「長いこと、妻をレスリング一色の生活に引き込んでしまいましたからね。下宿のおばさんをやらせたり…。罪滅ぼししないとなりませんよ」と笑う。

 妻孝行とともにしっかりしておきたいのは、支えてくれたレスリング関係者へ感謝の気持ちを伝えること。地元で身近に支えてくれた人のみならず、日本協会、全国高体連レスリング専門部の人たちに対する感謝の気持ちでいっぱいだと言う。

 母校・同志社大の70周年記念パーティーでは、日本協会の福田富昭会長が来訪してくれ、地方のレスリングも大事にしてくれていることを実感。強化だけではなく、レスリングを初めて見た町の人たちが、レスリングに何かの可能性を感じて応援してくれる地元密着の空気をつくることが「レスリングの発展につながる」と訴える。

 強化と普及の二本柱で「メジャーになってほしいですね」と話す顔からは、レスリングを中心にした生活から離れることはなさそうだ。







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