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2021.01.20

【追悼】レスリング界最強の男、ダニー・ホッジ(米国)…スポーツ史に残る不思議な異能ぶり(フリーライター・高木圭介)

(文=フリーライター/元東京スポーツ記者・高木圭介、神奈川大レスリング部OB)

 レスリング界のみならず、プロレス界、そしてボクシング界にまで大きな足跡を残す米国スポーツ界伝説の男、ダニー・ホッジ氏が2020年12月24日、在住するオクラホマ州ペリーで亡くなられた。享年88。

2014年に来日したダニー・ホッジ氏(米国)を取材する筆者=高木記者提供

 オクラホマ大学時代は全米大学(NCAA)選手権3連覇、全米(AAU)選手権はグレコローマンと合わせて4度優勝とタイトルを総なめ。大学時代は「ただの1度のテークダウンすらも許さなかった」との伝説が今も語り継がれている。学生時代に出場した1952年ヘルシンキ・オリンピックでは、フリースタイル79kg級で5位入賞。1956年メルボルン・オリンピックでは同級で銀メダルを獲得している。

 レスリング選手としての実績だけでも最大限に称賛されるものだが、ホッジ氏の異能ぶりに驚かされるのは、ここからだ。大学在学中、誘われるがまま、「ちょっと、かじってみるつもり」で始めたボクシングでも才能を発揮し、メルボルン・オリンピックの2年後には米国のアマチュアボクシング大会の最高峰・ゴールデングローブで全米王者(ヘビー級)に君臨。

 2年後に同大会の同階級で王者になっているのが、カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)で、1984年の王者はマイク・タイソン。この顔ぶれを見ただけでも、ゴールデングローブのレベルの高さが分かるだろう。

 ちなみにホッジ氏と同じ1958年大会でミドル級王者になったウィルバート・マクルーアは、1960年ローマ・オリンピックのライトミドル級で金メダルを獲得した。ホッジ氏も、2年後のローマ・オリンピックに向けて、レスリングとボクシングの両競技で出場→メダル獲得、という前人未踏の快挙に向けたプランも進んでいたはずだ。

 しかし、ホッジ氏はゴールデングローブ制覇後に、誘われるがまま1年ほどプロボクサーとして活躍。翌1959年には、強さと身体能力の象徴であるダニー・ホッジの獲得に威信を賭けたプロレス界からの熱烈なスカウトを受け、プロレスラーに転身する。

レスラーとして唯一「スポーツ・イラストレイテッド」表紙を飾る!

 1976年の引退までNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得するなど活躍。日本にも1967年に国際プロレスに初来日以降、日本プロレス、全日本プロレスなどに来日。ヒロ・マツダ、ルー・テーズ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田らと名勝負を展開し、そのすさまじい身体能力を見せつけている。

 日本ではプロレスラーとしての印象が強いが、米国ではレスリングとボクシングの両競技で頂点を極めた「奇跡のアスリート」として尊敬を集めている。ホッジ氏の生まれ故郷、オクラホマ州ペリーのダウンタウン一角には、アマ時代のホッジ氏の勇姿がかたどられた銅像が2つある「ペリー・レスリング・モニュメント・パーク」が存在するほどだ。

レスリング選手として唯一、「スポーツイラストレイテッド」誌の表紙を飾ったダニー・ホッジ氏

 PERRY WRESTLING MONUMENT PARK → http://www.pwmpark.org/

 また米国のメジャースポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド(1954年8月創刊)』でも、1957年4月に同誌66年の歴史において唯一、レスリング選手として表紙を飾っている。

 昨年の大晦日、2016年リオデジャネイロ・オリンピックの銀メダリスト(男子グレコローマン59kg級)、太田忍の総合格闘技(MMA)初参戦が話題となった。現在、MMAの世界において、ボクシング技術と並んでレスリング技術の重要性が周知していることからも不思議ではない。

 MMAが存在しなかった時代、ホッジ氏はレスリングでオリンピック銀メダルを獲得→ボクシング転向→プロボクサー→プロレスラーと、現在の常識では到底考えられない転身を見せ、いずれの世界でも成功を収めているのがすごい。誰しもが「生まれてくる時代が半世紀ほど遅ければ…」と考えてしまうのである。

全盛期にMMAがあったなら、ホッジ氏にかなう選手はいない!

 筆者は6年前(2014年5月)、来日したホッジ氏にインタビューした際、当時82歳になるホッジ氏が片手でリンゴを握りつぶすパフォーマンスを見せてもらった。その後に握手を交わしたのだが、満面の笑みとともにウインクするや、手をギュッと握られ、その後、1週間ほど手が痛くて仕方なかった。言い方は悪いが、その長い指と大きな手で、自分の手を包まれた瞬間、まるで大型のチンパンジー(握力が300kgあると推定される)に握手されているような気分がしたものだ。

1974年7月、全日本プロレスのリングで闘うホッジ氏=撮影・山内猛

 ホッジ氏のプロレスは、決して怪力や握力を誇示するスタイルではないのだが、なぜか披露されるパフォーマンスは「片手によるリンゴつぶし」という不思議。レスリングとボクシングの両競技で頂点を極めてしまう異能ぶりは、後天的な努力だけでは成し得ない何かがある。

 戦後の米国プロレス黄金時代を築いた鉄人、ルー・テーズ氏(NWA世界ヘビー級王者)は生前、「もし、ホッジが今の時代に生まれ、最近流行するノールールの大会などに出場していたら、大惨事が起きるだろう。1分以内に対戦相手は目をえぐられ、鼻をもがれ、さらに両耳を引きちぎられるだろう…」と語っていたと伝えられる。

 目をえぐるのも、鼻をもぐのも、耳を引きちぎるのも、決してレスリングの技術ではない。そのあたりも含めつつ指摘したテーズ氏の言葉に、ホッジ氏の人間離れした強さの本質が隠されていると思う。

 現在、Youtubeなどの動画サイトにて、ホッジ氏のアマチュア時代の試合映像をレスリング、ボクシングと両方拝見することができるが、現役選手の皆さんには、見事なまでに参考にならない。レスリングは相手の手首をつかむや、そのままいとも簡単に相手を引っ繰り返してフォール。ボクシング(ゴールデングロープの決勝戦)は、相手のパンチを受けて後方に転がってしまうほどなのに、その後にあっさりと立ち上がってパンチで逆転勝利…という、どちらも漫画のような勝ち方なのだ。

 レスリングのほうは異常な握力、ボクシングはレスリングを経由してのボクシング転向のため、一般のボクサーでは考えられないほど首が鍛えられ、安定していたためにダメ―ジが薄い…とも推測できる。やっぱり普通ではない。

ニックネームは「鳥人」、身体能力は「超人」

 そんなホッジ氏のメルボルン・オリンピックにおける戦績を調べてみた。1回戦はファーキュアー(英国)にフォール勝ち、2回戦でプンカリ(フィンランド)に判定勝ちし、3回戦で地元のデヴィス(オーストラリア)にフォール勝ち。4回戦では、14分にもわたる激闘の末、ザンディ・アバス(イラン=1954年に東京開催の世界選手権で優勝)にフォール勝ちし、無敗の勝ち点トップのまま決勝戦に進み、伏兵のニコラ・スタンチェフ・ニコロフ(ブルガリア=2009年に79歳で死去)に敗れて銀メダルに終わっている。

オクラホマ大のサイトでも、偉大なOBの訃報を伝え哀悼の意を示した

 ホッジ氏はヘルシンキ・オリンピックでも、優勝したダヴィット・ツィマクリゼ(ソ連)に敗れており、2大会連続で金メダリストに土をつけられたことになる。

 面白いのは、その優勝したニコロフに唯一、勝利している選手が2回戦で対戦した日本代表の桂本和夫選手(中大=1954年アジア大会王者)ということ。11分55秒、巻固めによるフォール勝ちという記録が当時の新聞に掲載されている。

 桂本選手は1回戦でザンディ(イラン)に判定負け、4回戦でアトリ(トルコ)に判定負けしたことが響き、優勝した選手に勝ちながらもメダルには手が届かず、5位入賞に終わっている(注=当時のルールでは、罰点6で敗退)。

 さらに面白いのは、その桂本選手は中大卒業後、腕力や足腰の強さを買われてプロ野球の国鉄スワローズ(現・ヤクルト)に外野手として入団(1960年まで在籍)していること。メルボルン・オリンピックのフリースタイル79kg級の入賞者は、2位がプロボクサー、5位がプロ野球選手と異色の転身を図っていたことになる。

 プロレスラーとしての異名は「鳥人」(本人は不思議がっていた)だが、その身体能力はまさに「超人」。全世界のスポーツ史においても、異能ぶりを発揮した偉大なるレジェンド・ホッジ氏のご冥福をお祈りしたい。合掌。







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