社会情勢の変化や生き方の多様化が要因なのか、30歳を超えても第一線で闘う選手が増えている。2016年リオデジャネイロ・オリンピック男子グレコローマン66kg級で5位に入賞し、現在33歳の井上智裕(FUJIOH)もその一人。「2024年パリ・オリンピックを目指している?」の問いには、苦笑いを浮かべて明確な答はなかったものの、しばらくはコーチをしている神奈川大と母校の日体大のマットで汗を流すつもりだ。
オリンピックを目指したこれまでとは違う目標も見えてきた。来年7月に35歳となり、世界ベテランズ選手権への出場資格を得る。これまでフリースタイルで世界チャンピオンになった日本選手は何人もいるが、グレコローマンではいない。「日本史上初のグレコローマンの世界チャンピオンを目指そうと思っているんです」。
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、マット上での練習と指導は控えている状況だが、一人でできるトレーニングを続け、体力の維持を心掛けている。「早く思い切って練習したいですね」という言葉に実感がこもる。
もうひとつ、情熱を燃やしていることが普及広報への努力だ。フェイスブック、インスタグラム、ツイッターに動画を数多くアップしてレスリングの露出増に取り組んでいる。トレーニング法や試合動画での技術解説も掲載しており、見かけたことのある人も多いだろう。
普及広報の基本は、多くの人の目にふれさせること。SNSが台頭している現在は、だれもが“広報担当”ができる時代。1つの記事に対するアクセス数は少なくとも、多くの人がレスリングの記事をアップすれば新聞やテレビに匹敵する広報手段となる。
その気持ちが高じ、2月28日に東京・町田市で行われた「マイナー競技認知度爆上祭」にレスリングのブースを出展。レスリングのルールや魅力をアピールした。ボートや女子フェンシング選手等のトレーナーとして活躍している渡邊史郎氏が「さまざまな競技の魅力と、その感動を伝えたい」という気持ちから開催したイベント。
渡邊氏と「スポーツ指導超会議」というオンライン・グループで知り合った井上選手が、「ぜひレスリングもお願します」と頼んで実現した。出展されたスポーツには、一般的に名前すらも知られていない競技もあって、「それに比べると、レスリングはマイナーではないのかな、とは思いますが、試合を見に来てくれる人は少ないです。レスリングに興味を持ってもらい、試合会場に来てくれる人を増やしたいです」という思いからの行動だ。
イベント会場は密にならいことを心掛けていて、数千人もの人に対してアピールすることはできなかったが、こうした草の根レベルの普及広報活動の結集が大きな力になるのは言うまでもない。
相応の年になったトップ選手が、育ててくれたレスリング界への還元として指導に携わり、指導を通じた普及活動に力を入れるのはよくある。一歩進み、こうしたイベントに参加して、広く一般にレスリングの存在をアピールする活動も望まれよう。
井上選手の根底にあるのは、全日本選手権であっても会場の観客席はまばらで、身内の人が圧倒的に多かった現実。「寂しく感じましたね」と振り返る。「身内の応援でも力になりますが、知らない人からも応援してもらえるって、とても力になると思うんです。それが実力アップにつながると思います。レスリングのファンを増やしていくことが、競技力アップにつながります」と話す。
人気を獲得することでワールドカップの常連になった日本サッカーが、その典型だろう。サッカーに比べるとルールが複雑で、一般の観客が溶け込めない要因があるのも事実。ルールをしっかりと広報し、「どうなったらポイントが入り勝敗が決まるかなどを伝える努力が必要」と訴える。その具現化が、今回のイベントへの出展だ。
昨年12月の全日本選手権にも男子グレコローマン72kg級に出場予定だったバリバリの現役選手。新型コロナウィルスの感染者との濃厚接触があり、自身は感染していなかったが無念の欠場となった。今後は、世界ベテランズ選手権での優勝を目指す過程として、通常の大会への出場も続けるつもりだ。
選手として、そして普及広報担当として、オリンピアンの活動は続く。