(監修=日本協会・審判委員会/スポーツ医科学委員会)
東京オリンピック・アジア予選では男子フリースタイル57kg級の樋口黎選手(ミキハウス)が、規定の体重をクリアできずに失格となりました。計量会場にいた日本関係者の話を総合すると、同選手は計量時間終了前に「57.05kg」を示すなどし、最後の計量で、体重計の数値は「57.0kg」。担当の審判員がOKのサインする寸前までいきました。
ここで、他の審判員の指摘で計量責任者として参加していた世界レスリング連盟(UWW)のアントニオ・シルベストリ審判委員長が介入。「そのシングレットでは駄目だ」と計量パスを認めず、シングレットを着替えて再計量。「57.00kg」を越えており、パスできなかったとのことです。
樋口選手は計量後、「極限の状態で落ち切らなかった」と話しており、発汗による減量は不可能の状態。日本チームは着用が義務付けられているシングレットの太もも部分を切断。そのシングレットで計量器に乗らせましたが、これにストップがかかったわけです。
計量は、レスリングが男子だけの時代は全裸で行われ、女子がスタートしてからは、女子のみシングレット着用、示された数値から200グラムを引いて計算していました。男子はしばらく全裸で実施されていました。
女性の進出によって、計量会場にも女性のドクターやレフェリー、マネジャーが入るようになり、10数年前から男女ともシングレットを着用して計量。200グラムを引くことはしていません。したがって、57kg級の選手は、実際には56.7~56.8kgまで落とさなければなりません。
世界レスリング連盟(UWW)のルール第11条「計量」には、計量時の着衣に関して下記の条文があります。
・「The only uniform allowed for the weigh-in is the singlet.」(計量時に認められるユニフォームはシングレットのみ)
・「The referees responsible for the weigh-in must check that all wrestlers are of the weight corresponding to the category in which they are entered for the competition, that they fulfil all the requirements of Article 5 and to inform any wrestler of the risk he runs if he presents himself on the mat in incorrect dress.」(要約:第5条=着衣規定=のすべての要件を満たしていること。審判は正しい着衣を着ていないレスラーに計量をさせない)
第5条「着衣規定」では、シングレットについて「粗いエッジのない滑らかな生地で構成されている必要がある」などが定められているほか、計量時に「At the weigh-in, the referee must check that each competitor satisfies the requirements of this article. The wrestler must be warned at the weigh-in, if his appearance is non-compliant.」(レフェリーは各競技者がこの要件を満たしていることを確認する必要がある。競技者の外見が準拠していない場合は、警告する必要がある)との規定があります。
太ももの部分を切ったシングレットで試合をすることはできないわけで、当然、そのシングレットで計量器に乗ることもできません。シルベストリ審判委員長の行動は、ルールにのっとった正しい行動だったわけです。
日本協会の斎藤修審判委員長によると、最近は計量時の不正に関して厳しい処置がとられており、不正を見逃した審判員には降格や活動停止などの処分が容赦なく下るとのこと。UWWが計量をネット中継することもあれば、UWWスタッフや審判員がスマホで動画撮影することが認められており、不正を示す“動かぬ証拠”が提出されれば、該当審判員は処分が待っているという厳しい姿勢がとられています。
“切断シングレット”で計量をパスし、その後、別の審判がそれを指摘して正規の計量が行われていなかったことが証明されれば、「サインした審判員と責任審判員は処分されただろう」とのことです。
では、シングレットの切断ではなく、薄くて重量の少ないシングレットを着用して計量に乗った場合はどうなのか。斎藤審判長は「試合で着用するシングレットで計量に乗らなければならない」と強調。見た目には分からなくとも、「そうした行為はスポーツマンシップに反するのでやめてほしい」と訴える。
「一見して区別のつかない双子の兄弟や姉妹は、計量選手と試合選手に分けても、ばれない」と冗談で言われるが、それと同じで、「ばれなければいい」というものではない。今回のことを機に、着用シングレットを含めて計量規定をしっかり把握しておくことが必要になる。
発汗による減量が肉体的に不可能になったとき、体重を落とす合法的な方法が髪を切ること。五分刈りなどの選手は別だが、普通に髪を伸ばしている選手ならそれで100~200グラムは落ちる。計量会場で髪を切ってはならない、という規定はなく、斎藤審判委員長は高校の大会で見たことがあると言う。
「血液を抜く」という方法は、UWWの禁止項目にはなく、世界アンチドーピング機構(WADA)の規定にも、瀉血(しゃけつ=血液を外部に排出させること)を具体的に禁止する項目はない。しかし、日本協会の中嶋耕平・スポーツ医科学委員長は「ドーピング規定にある『血液あるいは血液成分を物理的あるいは科学的手段を用いて血管内操作すること』に該当するでしょう」とのこと。
何よりも、「脱水状態の競技者から血液を抜く行為は、医療行為としても倫理的に弁解の余地はなく、医師がそれを行うことは許されない」ときっぱり。
斎藤審判委員長は「計量は、試合で着用するシングレットを着て測ることをしっかり認識してほしい。シングレットを切ったり、薄手のものを用意したり、医療行為を逸脱する行為は、スポーツマンシップに反する行為」と訴えるとともに、計量に立ち会う審判員にも「今は監視体制が厳しく、不正を見逃した場合の処分も厳しい。厳密な計量を実施してほしい」と呼び掛けている。