アジア予選初日。この日は男子グレコローマン。試合は11時から開始され、まず準決勝まで。休憩のあと、午後6時から決勝と3位決定戦が行なわれるスケジュールだった。
今大会は、一般メディアはすべてNG。チームの一員として参加した筆者は、当初は会場の観客席から試合を望遠レンズで撮影する予定だった。渡されたIDカードで入れることになっていたが、その日になってから選手とセコンド以外は会場内に入れないことが判明する。
よって、私だけではなく、西口茂樹・強化本部長や赤石光生・強化副本部長も、ウォームアップ場に用意されたモニターでの観戦を余儀なくされた。
そのモニターは試合中たびたびフリーズ。何も映らなくなってしまい、各国の観戦者からはブーイングも。日本人選手の試合中も、いきなりブラックアウト。取材ノートには試合の展開をメモしていたが、モニターがこんな調子では役に立たない。
試合会場とウォームアップ場の通路にはミックスゾーン(インタビュー・エリア)が設けられており、そこまでは行くことができたので、試合後に選手に話を聞き、そのもようを撮影。しかし、途中からそのミックスゾーンも立ち入り禁止になってしまった。
ストレスはたまる一方だったが、屋比久翔平が決勝に進出。東京オリンピック出場枠を獲得した。ストレスは一気に吹き飛んだ。
アジア予選第2日。この日は女子。日本からは50㎏級の須﨑優衣選手が出場した。練習開始前、吉村祥子コーチは「いつも通りの優衣を出して」と声をかけていた。初戦直前、須﨑選手はマットで体育座りをしながら目を閉じ、精神統一をしていた。
試合は総当たりリーグ戦。大方の予想通り、須﨑選手は昼間の部で順調に勝ち上がっていく。試合の合間には、次の対戦相手の映像を見ながらその動きを入念にチェックしていた。
須﨑選手はカザフスタンでも人気者。ボランティア・スタッフを含め、ひっきりなしに記念撮影のリクエストがやってくる。須﨑はそのたびに「アフター」と笑顔で答え、夕方からの決勝に備えていた。
最終ラウンドを残した時点でオリンピックの出場枠は確保したが、まだ大会は終わっていない。気持ちを切らさないため、取材もシャットアウト。しかし、優勝後は最高の笑顔とともに取材に応じてくれた。
アジア予選最終日。この日は男子フリースタイル。試合前、ホテルで身支度をしていると、57㎏級の樋口黎選手(ミキハウス)が計量失格したという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。樋口選手の試合はこの日のハイライトだっただけに、放心状態になる。現場サイドの了解をとったうえで、会場で樋口選手をつかまえ、コメントをとる。辛いことながら、これも仕事のひとつだ。
他の選手は、86㎏級の高谷惣亮選手(ALSOK)が奮闘。準決勝まで勝ち進んだが、そこでビッグポイントの差で敗北を喫した。その瞬間、拓大で高谷選手を指導した西口強化本部長は「あ~っ、クソッ」とつぶやき、「ハァ~ッ」と大きなため息をつきながら天を仰いだ。
場外際の攻防で「高谷の2点か?」という試合展開もあったが、そこで加算されなかったことが響いた。しかし、これで終わりではない。まだ3位決定戦が残っていた。3位と4位以下では、立場が全然違う。前者だと上位の選手がドーピングで引っかかると、繰り上がる可能性もあるからだ。
果たして高谷はキルギスの選手を6-1で破って3位を確保した。ウォームアップ場に戻ると、待ち構えていた日本選手団から拍手で迎えられた。125㎏級の田中哲矢選手も3位決定戦に回ったが、それまでの試合で胸部を負傷したため棄権した。
アジア予選とアジア選手権の中日。試合は組まれていないが、原稿書きもあれば、西口強化本部長の総括、外国人選手の取材などやることは山ほどある。まずはホテルのロビーで西口強化本部長から総括を聞く。
もちろん、お互いマスクを着用したうえでの会話。練習、あるいは試合の選手を除けば、日本選手団のマスク着用や手洗いは徹底されていたと思う。それでも、感染者が出たのはかの地の環境によるところが大きかったことが原因のひとつだと思う。
バブル生活の中での唯一の楽しみといえば、ホテルのレストランで提供される朝・昼・晩のビュッフェだった。ロシア風のサラダ、鮮度の高いプリッとした鶏肉など料理のクオリティーは満点に近いものだったが、混雑時には選手、関係者が長い列をなす。
そのとき、マスクもせず会話する者がなんと多かったことか。ドクターからも「ビュッフェやサウナでは注意するように」というお達しがあった。昼食時を見計らい、川井友香子選手の最大のライバルとなるキルギスのアイスルー・チベニコワ選手とノルベ・イサベコフ女子ヘッドコーチの話を聞く。ふたりとも、快く取材に応じてくれた。感謝。
アジア選手権初日。この日は男子グレコローマン5階級が行なわれ、55㎏級の塩谷優選手(拓大)が日本男子最年少のアジア王者となった。日本でも“イケメン”として知られている塩谷だが、その人気はカザフスタンでも健在。練習時からボランティア・スタッフの女性が何人も記念撮影を求め、優勝が決まるや塩谷熱はさらに加速していた。
塩谷とともに期待されていた63kg級の清水賢亮(拓大)は1勝止まり。大会前日、「優勝したら、(ホテルのビュッフェにある)ケーキをたくさん食べたい」と語っていたが、試合後は同門で後輩の塩谷と自分を比較して「いったい自分は何をやっているのか」とうなだれていた。試練の遠征となった。
ちなみに、この日は拓大DAY。130㎏級で同大学に在籍するアジア選手権初出場の奥村総太は、周囲から「これは挑戦」と背中を押されての3位決定戦に出場したが、敗れ5位に終わった。
アジア選手権第2日。この日も男子グレコローマン5階級が争われたが、日本チームにとっては大豊作の1日となった。67㎏級の下山田培(警視庁)が優勝したばかりでなく、60kg級の鈴木絢大(レスターホールディングス)、72kg級の堀江耐志(自衛隊)、82kg級の向井識起(自衛隊)の3選手が銅メダルを獲得した。
日本人選手が上位に残れば残るほど仕事は増えるが、その方がモチベーションは高まる。忙しさでいえば、アジア選手権の中では、この日がピークだった。会場に向かうバスの中で下山田選手は「俺は今年もう27歳になるんだよね。四捨五入したら30歳。もう年齢のことは自分から話題にできないよ」とこぼしていたが、まだまだ老け込む歳ではあるまい。
《続く》