日本レスリング協会公式サイト
JAPAN WRESTLING FEDERATION
日本レスリング協会公式サイト
2021.05.25

【貴重映像】ジグジドゥ・ムンフバトさん(横綱・白鵬の父)の1968年メキシコ・オリンピックの試合動画

 

 大相撲の横綱・白鵬の父、ジグジドゥ・ムンフバトさん(Munhbat, Jigjidym=2018年4月、76歳で没)が1968年メキシコ・オリンピックのレスリング・フリースタイル86kg級銀メダリストであることは、よく知られている。

 本ホームページは、モンゴル・オリンピック委員会所蔵のメキシコ・オリンピックでのムンフバトさんの映像を入手した。(下記動画=モンゴルでの壮行式→開会式→3回戦のスイス戦と思われる試合→6回戦のソ連戦と思われる試合→表彰式→帰国後の報告式)

 ムンフバトさんは、モンゴル相撲で最高位アヴァルガ(大相撲の横綱に相当)の地位にあり、その後、レスリングに取り組んだ。

 モンゴルは1962年に国際オリンピック委員会(IOC)に承認され、最初に出場した夏季オリンピックが1964年東京大会。ムンフバトさんは東京大会にも出場し、3回戦まで勝ち進んだが、4回戦で優勝したトルコ選手に敗れ、バッドマークが「7」になって失格した(6点で失格=当時は6位まで順位をつけていた。しいて順位をつけるなら7位に相当)。

2014年6月に来日し、明治杯全日本選抜選手権のマットで紹介された白鵬(右から2人目)の父、ジグジドゥ・ムンフバトさん

 ムンフバトさんはモンゴル相撲での下地をレスリングに適応させて力をつけ、1966年世界選手権(米国)87kg級で4位入賞。翌1967年世界選手権(インド)では同国初の銅メダルを獲得と急成長。同国レスリング界を牽引し、メキシコ大会での同国レスリング初の銀メダル獲得につなげた。

 メキシコ大会では6試合を闘い、4勝2引き分け(当時のルール)。バッドマークの点数によって銀メダルに甘んじたのであり、優勝したボリス・グレビッチ(ソ連=前年の世界チャンピオン)にも負けていない。

 ちなみに、メキシコ大会では、モンゴルから他に3階級で銅メダルを獲得し、計4選手がメダルを獲得している。この好成績につながったのは、チームを牽引したムンフバトさんの功績であることは言うまでもない。

 ムンフバトさんは、1969年世界選手権(アルゼンチン)で5位、1970年世界選手権(カナダ)で4位の成績を残し、1972年ミュンヘン・オリンピックにも出場している(1回戦で敗れ、以後を負傷棄権)。モンゴルを代表するレスリング選手だった。


ジグジドゥ・ムンフバトさんのオリンピック成績

1968年メキシコ大会で前年の世界王者と引き分け、モンゴル初のメダルを獲得したジグジドゥ・ムンフバトさん=動画より

 【1964年東京大会】
1回戦 ○[判定]John Boyle(オーストラリア)
2回戦 ○[判定]Gaetano De Vescovi(イタリア)
3回戦 ○[判定]Joe Feeney(アイルランド)
4回戦 ●[フォール]İsmail Oğan(トルコ)

 【1968年メキシコ大会】
1回戦 ○[判定]Peter Döring(東ドイツ)
2回戦 ○[フォール、1:17]Raúl García(メキシコ)
3回戦 ○[判定]Jean-Marie Chardonnens(スイス)
4回戦  BYE
5回戦 △[引き分け]Prodan Gardzhev(ブルガリア)
6回戦 △[引き分け]Boris Gurevich(ソ連)
7回戦 ○[判定]Tom Peckham(米国)

※全試合が終わり、バッドマークは6.5点(フォール勝ち1、判定勝ち2、大差判定勝ち1、引き分け2)。優勝したグレビッチも4勝2引き分けで、バッドマークは4.5点(フォール勝ち3、大差判定勝ち1、引き分け2)。フォール勝ちの差で優勝を逃した。

 【1972年ミュンヘン大会】
1回戦 ●[判定]Mehmet Güçlü(トルコ)
※負傷のため、以後棄権







COVID-19ガイドライン

年別ニュース一覧

サイト内検索

JWF WRESTLERS DATABASE 日本レスリング協会 選手&大会データベース

【報道】取材申請について
-------------

● 間違いはご指摘ください
本ホームページ上に掲載されている記録や人名に誤りがある場合は、遠慮なくご指摘ください。調査のうえ善処いたします。 記録は、一度間違うと、後世まで間違ったまま伝わります。正確な記録を残すためにも、ご協力ください。


アスリートの盗撮、写真・動画の悪用、悪質なSNSの投稿は卑劣な行為です。
フェアプレイで日本を元気に