37年ぶりの一部リーグ昇格! 2021年西日本学生秋季リーグ戦の二部リーグで大体大が6戦全勝をマーク。1992年以来の二部リーグ優勝を飾るとともに、来シーズン、1984年秋季以来となる一部リーグでの闘いを決めた。
帝塚山大(昨季一部リーグ)、天理大(昨季2位)には4-3という接戦を勝ち抜いての優勝。姫路文博監督は「選手が気持ちで闘って勝ってくれたと思います。僕らはチャレンジャーですから、思い切り行くだけでした」と闘いを振り返った。
選手の激闘をねぎらったその目には、大粒の涙が。「(一部昇格は)いつ以来なんでしょうか。私が(学生で)やっていたときも一部には上がれなかったんです」。再浮上を目指してからの日々が脳裏を駆け巡ったのだろう。
もうひとつの理由もある。淵本隆文部長(大学副学長=西日本学生連盟副会長)が今年度いっぱいで定年を迎え、部長としてリーグ戦を見るのが最後だったからだ。「最後に恩返しすることができた、と思ったら、感極まってしまいまして…」と涙の理由を説明した。
同部OBで大体大の一部リーグ春夏連覇も経験している淵本部長は「最高のプレゼントをしてもらいました」と感無量の表情。終盤に逆転して勝った試合が多かったことを指摘し、「技術もさることながら、スタミナをつける練習がよかったと思う。スタミナは裏切らない」と、猛練習の成果を勝因として挙げた。
表彰式では、普通なら会長か理事長が務めるプレゼンテーターを勇退記念で任命され、有終の花道が用意された。連盟上層部も、どん底からはい上がった大体大と同部長の努力をしっかり見ていた。
大体大は、かつては西日本を代表するチームだった。1970年代には一部リーグ優勝を3度達成。1981年には石森宏一が西日本の大学の選手として初めて全日本学生選手権を制し、1984年ロサンゼルス・オリンピックのフリースタイル100kg以上級に出場した。
1985年に二部リーグに落ちてからも、1993年までに3度優勝を遂げ(注=当時は入れ替え戦があって一部リーグに上がれず)、姫路監督が2000年西日本学生選手権を制して全日本選抜選手権に出場するなど盛り返したこともあったが、かつての栄光を取り戻すには至らなかった。
同監督がコーチに就任したあとには、部員不足でリーグ戦出場を辞退したこともあり、部の存続が危ぶまれ、歴史の中に埋もれてしまう可能性もあった。淵本部長は「本当につらかった」と振り返った。
しかし、幼稚園から大学までを運営する学校法人浪商学園が、2021年に創立100周年を迎えるにあたり、体育大学としてトップアスリートを育てる使命の実現を目指して「DASHプロジェクト」がスタート(2017年)。強化の土壌ができた(関連記事)。
この流れに合わせて、神奈川・磯子工高で指導していた西尾直之さん(同志社大OB=2004年西日本学生選手権グレコローマン60kg級優勝)が大体大浪商高の監督に就任。福岡大時代の2011年に西日本学生選手権両スタイル66kg級優勝の黒崎辰馬さんが大学の研究員となり、現在も神戸市の大学の教員として働きながら外部コーチとして指導。中学も含めた一貫強化の中でチーム力をアップさせてきた。
大学と付属高校とが連携して練習するところはあるが、中学から大学までがひとつの“チーム”として活動しているのは、全国で浪商学園だけ。この日はコーチが2人とも不在だったものの、姫路監督は2人の指導者の力が大きかったことを口にした。
一貫強化を目指した“再スタート”のときには、オリンピック4連覇の伊調馨選手を招き、大阪のキッズ選手を集めてレスリング教室を開催。その後、高校・大学に日体大の湯元健一コーチや日体大OBで福岡大の池松和彦監督が大学の垣根を越えて指導に訪れ、全日本王者でもある高橋昭吾、下山田培の現役選手が指導に来てくれたりもした。
昨年の西日本学生選手権では、入学後にレスリングを始めた前薗渓が姫路監督以来20年ぶりに優勝し上昇ムードをつくった。同監督は「初心者でも勝てる、というムードがチームに広がった」と、その功績を評価。「大学の垣根なしに多くの方が指導に来てくれました。その積み重ねが、この優勝です」と振り返った。
体育大学という特性上、スポーツ科学に裏付けられた理論的なトレーニングや減量、メンタルトレーニングを実行しているという自負もある。「大学のバックアップのもと、一貫強化で蒔いた種の芽が、やっと出てきたのかな、と思います。多くの方に感謝したいです」と総括した。
奇しくも、リーグ戦と同じ日に東京で行われた全国中学選抜選手権では、41kg級で古澤大和選手が1年生王者に輝いた。100周年を好成績で飾り、最高の形で新たな時代のスタートを切れたと言えるだろう。
一部リーグに上がれば、さらに厳しい闘いが待っている。入れ替え戦なしの“自動昇降”のルールなので、一部リーグで最下位になれば二部リーグに戻る。それでも、「私たちは挑戦者です。目先の勝った負けたではない。落ちても、また上がれるよう、半歩でも一歩でも進むことを考えて強化したい。いずれは頂点に、と思います」ときっぱり。
大体大が最後に一部リーグ優勝を遂げたのは、1975年秋季。さすがに「47年ぶりの優勝」ができるほど勝負の世界は甘くないだろうが、半世紀を待たずに大体大のチャンピオン奪還が実現するか-。