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2022.01.01

【新春対談(1)】困難の中で開催された東京オリンピックに感謝…富山英明会長&日本陸連・瀬古利彦副会長

 

 1年遅れの東京オリンピック・イヤーが終わり、スポーツ界は休む間もなく2024年パリ・オリンピックへ向けて走り出した。通常よりスパンが短くなるパリまでの道。昨年秋から本協会を率いることになった富山英明会長と、日本陸上競技連盟の副会長に就任した希代のマラソン・ランナー、瀬古利彦氏に、パリ・オリンピックまでの展望を語ってもらった。ともに1980年モスクワ&1984年ロサンゼルス・オリンピックの代表選手(瀬古副会長は1988年ソウル大会にも出場)。困難を乗り越えて栄光をつかんだ2人が、スポーツ界に期待するものとは?(司会=布施鋼治 / 対談撮影=保高幸子)

1980年代のスポーツ界を支えた瀬古利彦・日本陸連副会長(右)と本協会・富山英明会長


── まず、東京オリンピックがあった昨年を振り返っていただけますか?

瀬古 やはり東京オリンピックに尽きるね。レスリングは金メダルを5個も取っている!

富山 のっけから立ててくれて、ありがとうございます(照れ笑い)。

瀬古 日本は史上最多となる27個の金メダルを獲得した。特に金メダル獲得の期待を受けていた柔道、レスリング、体操では、それぞれ多くの金メダルを取っている。それがトータルでも最多の獲得数につながったんだと思います。

富山 レスリングでは、どんなシーンが印象に残っている?

瀬古 早大の後輩にあたる(女子50㎏級の)須﨑優衣選手が、決勝では対戦相手がかわいそうと思うくらいコロコロ転がしていたじゃないですか。あの場面が印象に残っています。本当に強かった。

瀬古副会長の早大の後輩にあたる須﨑優衣。圧勝優勝だった

── 富山会長は、東京オリンピックでどんな場面が印象に残っていますか?

富山 今回は自分が携わる11回目のオリンピックでした。肩書は現役、コーチ、テレビ解説など、その都度変わったけど、今回は選手村の副村長という形で参加しました。いつもとは違う視点でオリンピックを見ることができ、いい思い出ができました。コロナ禍のオリンピックで、選手村も今までとは違い、オリンピックの裏側を目の当たりする感じでした。

瀬古 裏側とは?

富山 本来なら、参加国の関係者を全部集めたうえで入村式をやるんだけど、コロナだから対面ではできず、リモートでやることになった。

瀬古 リモートで入村式をやったの?

富山 そうです。リモートによって各国の団長とコミュニケーションをとっていた。

瀬古 そうだったんだ。

富山 今日はアメリカ、明日はドイツ、という感じですね。そうやってコミュニケーションをとっていく中で、プレゼントを交換したりしていました。本来であれば、直接会って握手したりハグしたりしてスキンシップをとるんだけどね。

瀬古 握手はもちろんハグも禁止。寂しいといえば寂しいね。

富山 選手村の中では、ボランティアの人を含めいろいろな人に会う機会があった。今まではレスリングの競技者や関係者だけだったけど、今回はそれ以外の人たちとの出会いがあったので新鮮でしたね。

“モスクワの悲劇”は自分たちだけでいい、と思っていたが…

── 今回のオリンピックは1年延期という形で開催されました。直前までコロナの問題がおさまらず、いつ中止になってもおかしくない雰囲気もある中での開催になりました。

瀬古 5月には全国の感染者が7000人を超えていましたが(5月8日に7239人)、個人的には、「絶対中止にしたらいけない」という気持ちを抱いていました。我々は現役時代にモスクワ・オリンピックのボイコットを経験している。その経験は私たちの世代だけでいいと思っていた。でも、世の中にはコロナで苦しんでいる人もいれば、亡くなった人もいる。我々が声高に「やらせてくれ」とは言いづらい雰囲気があって、苦しかった。正直、私も「中止になるんじゃないか」と覚悟したこともありました。でもすぐに「そういうことを考えたらいけない」と思い直した。やってほしいけど、やれないかもしれない。心の葛藤がありましたね。

瀬古利彦(せこ・としひこ)1956年7月15日、三重県桑名市生まれ。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂・宗猛兄弟、中山竹通らとともに日本長距離界をリード。トラック競技では日本記録を総ナメにし、マラソンでは福岡国際マラソン3連覇のほか、ボストン、ロンドン、シカゴの大会を制覇。15レース中10度の優勝。昨年6月、日本陸上競技連盟の副会長に就任。

富山 ギリギリまで開催が分からなかった。アスリートもそうだけど、(スタッフやボランティアなど)準備している人も大変なわけですよ。中には7年も8年もかけて準備していた人もいた。中止になったりしたら、全てが変わってくる。だから準備していた人たちの苦労も大変なものがあったと思う。

瀬古 副村長をしていたら、そう思うよね。直前になったら、「辞退したい」というボランティアの方もいっぱい出てきた。ところで、富山さんは聖火ランナーをやったの?

富山 僕はやっていない。

瀬古 私は4月にやらせてもらった。まだ沿道を走ることができた。その直後に、(観戦による感染拡大を危惧して)沿道を走るのはダメということになりましたからね。聖火ランナーを務める予定だったタレントさんの中には、土壇場で辞退する方がいっぱいいました。辛かったなぁ(しみじみと)。

声高々に「やらせて」とは言えない状況

── 開催か中止かという雰囲気になったとき、モスクワ・オリンピックのときの状況と重ね合ったりしましたか?

富山 モスクワは政治的な問題でボイコットまで発展したけど、今回は理由が違う。世界全体の人々の命にかかわる問題。状況が違ったよね。

瀬古 モスクワのときには(柔道の山下泰裕やレスリングの高田裕司ら)代表選手たちが「やらせてください」と必死の思いで訴えていた。今回は同じ言葉を発せられる雰囲気ではなかった。

無観客だが、とりあえず開催できた東京オリンピック

富山 そうなんだよね。アスリートが「やりたい」というのは当たりまえ。ただ、国民感情を考えたら、自分の感情を出せない。JOC(日本オリンピック委員会)の山下泰裕会長は「何が何でもやる」という方針を示していた。のちに山下会長は「そう言っておかないと、迷いが生じてしまうから」と打ち明けていました。

瀬古 5月の読売新聞の世論調査では59%の人が反対でした。つまり6割近くの人が「反対」と言っていた。政府だってやりたいのは山々だけど、最終的には世論には勝てないじゃないですか。

── 開催が正式に決定したときには、ホッとしました?

富山 確か開催ギリギリだったよね。

瀬古 正式に「やる」という号令が下るまでは信用できなかった。政府の方針も頻繁に変わっていましたからね。でも、結果的に菅首相(当時)はよくやってくれたと思います。

《続く》

 







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