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2022.08.10

【2022年インターハイ・特集】史上初の父娘優勝を達成! 譲り受けた“頑固な性格”で飛躍するか…女子57kg級・山下叶夢(香川・高松北)

 

(文=布施鋼治/撮影=矢吹建夫)

 夢は叶う-。インターハイ第3日(8月3日)、個人戦・女子57㎏級決勝では、山下叶夢(香川・高松北)丸未永海(愛知・至学館)を9-4で破り、香川県代表として男女を合わせて初のチャンピオンに輝いた。

史上初めて父娘のインターハイ優勝を達成した山下叶夢(香川・高松北)=撮影・矢吹建夫

 父・忍さんは茨城・霞ヶ浦高在籍時代の1986年に48㎏級で優勝しており、2013年に女子がインターハイの公開競技になって以来(2017年から正式競技)、史上初めて父と娘によるインターハイ優勝を成し遂げた。

 決勝戦の翌日に話を聞くと、山下は「今でも優勝した実感はない」と本音を吐露した。「試合前は、いつも通りの試合ができたらいいな、という感じでマットに上がりました。スパーリングをして勝った、という感じです」

 緊張感は微塵もなかった。取材時、そばには地元・香川県でキッズ・レスリングのコーチを務める母・和代さん(1989年全日本女子選手権53kg級2位=決勝は、川井梨紗子選手の母・初江さんとの同門決戦)がいたが、「ハーフタイムのときでも笑っていた」と振り返る。「(コロナ禍で)ずっと試合がなかったので、マットに上がるだけで楽しい。それが表情に出ていましたね」

昨年の初戦完敗の悔しさを胸に練習に励んだ

 昨年のインターハイは、優勝した山口夏月(愛知・至学館=現至学館大)に初戦でテクニカルフォール負け。コロナ禍の中、山下は悔しさを胸に練習に励み、実力アップを実感していた。

気負うことなく、スパーリングのような感じで闘っての優勝だったという=撮影・矢吹建夫

 「いつも通りに闘ったら勝てる、ということはわかっていました。その前にプレッシャーに負けないというか、勝ちたいと思いすぎないように努めました。必要以上にプレッシャーを感じてしまうと、自分の技が出せなくなってしまうので」

 特筆すべきは、U17の世界チャンピオンになったばかりの内田楓夏(JOCエリートアカデミー/東京・帝京)を準々決勝で撃破したことだが、山下は内田のコンディションを思いやった。「私が住んでいる香川から高知までは、車で1時間半程度。内田選手は帰国して、すぐ高知に入ってきたので、ハンディはありすぎだったと思います。ただ、お父さんは試合前から『絶対お前の方が強い』と励ましてくれました」

 決勝を争った丸とは7年前の全国少年少女選手権で闘って勝利を収めて以来の再戦だった。山下は「自分から圧力をかけたり、差したり、ツーオンワンができたので、よかったかな、と思います」と振り返る。

国体は53kg級に出場、12月の全日本選手権は?

 一方で、今後のために課題点をピックアップすることも忘れない。「変なタイミングでタックルに入ってしまい、失点してしまったところは反省しないといけない」

史上初の快挙を報じる地元の四国新聞

 今大会は、地元の高知南・高知国際が学校対抗戦で活躍したこともあり、四国勢がマットに上がると、無観客で関係者だけだったが、いやがうえにも会場のムードは高まった。その熱に山下も後押しされたという。「インターハイが四国で開催され、その大会で優勝できて本当によかった」

 インターハイを制したことで、今年12月の全日本選手権に出場する権利を得た。山下は「通常体重は、(今回出場した)57㎏級のアンダー1.3㎏くらい」と打ち明ける。今後の階級を聞くと、本人は「ちょっと落とそうかと思う」とポツリ。すかさず、和代さんが助け船を出した。「国体は53㎏級と62㎏級しかないので、53㎏級になると思います」

 本人は、全日本選手権は53kg級と55kg級のどちらにするか、迷っている様子。いずれであっても、「父親譲りの頑固な性格」(本人&和代さん談)をいかしたレスリングで、このまま一気に台頭するか。


香川の自宅へ戻り、父に優勝の報告=父・忍さん提供

 ○…無観客大会だったので、父・忍さんは香川県の自宅でネット中継を見ての応援だった。決勝戦は、個人戦・男子の3回戦が終わったあとの夕方から開始。57kg級の決勝が行われる時間に合わせてネット中継を見たところ、赤の選手が負けたので、「負けたのか」と思ったという。

 しかし、進行が遅れていたようで、高松北のシングレットと違うことに気がつき、ひとつ前の試合だったことが分かって一安心。マットサイドにあるスコアボードを画面に入れるためか、選手がかなり小さく映ってしまうとはいえ、わが娘かどうか分からなかったほど「緊張していたんでしょうね」と笑う。

 茨城・霞ヶ浦の選手として自身が個人戦優勝した1986年大会(岡山・鴨方町)は、学校対抗戦では、当時、高校レスリング界で無敵の存在だった青森・光星学院の5連覇を阻止して同校が初優勝。インターハイ学校対抗戦23度優勝という霞ヶ浦の栄光がスタートした記念の大会だ。個人戦では、奥山恵二・現自由ヶ丘学園高顧問太田拓弥・現中大コーチらも優勝した。

1986年インターハイの霞ケ浦初優勝のメンバー。前列選手の右端が山下さん=協会機関誌より

 光星学院の猛練習はレスリング界で有名だったが、そこに勝つためにはそれ以上の練習が必要とばかり、大澤友博監督(日体大柏・前監督)が選手に課した練習も語り草となっている。

 忍さんは、練習量もさることながら、「7月にもかかわらずストーブをつけ、窓を締め切った中で練習したことが思い出深い」と言う。当時は会場にエアコンがなく、猛暑の中で試合が行われていたので(インターハイでエアコンが導入されたのは1993年大会から)、それに対応すべき練習だった。

 それを乗り越えての全国一。「魔王と呼ばれるくらいの大澤監督の厳しい指導があったからこそ、勝ち得た栄冠だったと思います。でも、今、あの練習をやらせたら、部員が誰もいなくなるんじゃないかな」と、厳しかった当時を振り返る。「今はエアコンのきいている中での試合…。いいですね」と、現在の選手がうらやましそうだった。







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