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2022.11.02

【2022年全国社会人オープン選手権・特集】オリンピックを目指す気持ちは消えていない! サモアからパリを目指す赤澤岳(チームサモア)が優勝

 

 3年ぶりに開催された2022年全国社会人オープン選手権。男子フリースタイル70kg級で、サモアからオリンピック出場を目指す選手が優勝した。2008年インターハイ66kg級で優勝、強豪・花咲徳栄高校のインターハイ王者第1号の赤澤岳(チームサモア=32歳)

 東京オリンピックは国籍変更が間に合わなかったが、2024年パリ・オリンピックへ向けて、手続きの最中。「オリンピックに出る夢を持ち続けています。サモアからオリンピック選手を出す目標とともに、全力で臨みます」と、情熱は消えていない。

▲4試合に勝って優勝、2024年パリ・オリンピック出場に向けて確かな手ごたえをつかんだ赤澤岳(チームサモア)

 今大会は、日本での試合としては2016年全日本選手権以来。優勝となると、前述の2008年インターハイ以来だ。花咲徳栄高の恩師、高坂拓也監督が見守る中での試合。準決勝で2018年全日本学生王者の尾形颯(中大クラブ2)、決勝は2018年東日本学生春季・秋季王者の山﨑幹太郎(日体大大学院)という実績ある若手選手を、それぞれ8-2、6-2で撃破。時にリードを許すことがあったが、粘り強い闘いで逆転し、栄冠をつかんだ。

 「長い間、日本では試合をしていなかったので、今の自分のレベルがどのあたりにあるのか分からず、緊張していました。優勝できたことで、自分がある程度の位置にいることが分かり、素直にうれしいです」

 劣勢であっても逆転できる粘りとスタミナの源を問われると、「朝と夜、時には1日3回、しっかり練習やっています。それが出たのだと思います」と答えた。サモアはレスリングが盛んではなく、14歳以上の選手数は、コロナで減ってしまって10人ほど。ほとんどが始めたばかりの選手で、技術を向上させるような練習はできない。「その分、体力で勝てたのだと思います」と分析した。

▲攻め込まれてもあきらめない粘りを随所に発揮。ロシアで鍛えた実力はだてじゃない!

日大卒業後、ロシア・クラスノヤルスクでもまれたが…

 この大会は“市民大会”の要素も持ち合わせ、社会人の健康維持のために出場する選手も少なくない。だが、赤澤にとっては、パリへ向けて真っ向勝負の挑戦だった。「日本で試合をしていないので、引退したと思っている人もいるでしょう」と笑いながら、オリンピックへの思いを話してくれた。

 全国中学生選手権やJOCジュニアオリンピックを制し、インターハイ王者として日大に進んだ赤澤は、大学では負傷続きで結果を残すことができなかった。各大会の上位に入賞すると記録される本協会データベースでは、日大時代の成績がすっぽり抜けている。負傷が癒えて全日本選手権に初出場できたのは、卒業した2013年のこと(60kg級5位)。

 オリンピックへの思いを持ち続けていた赤澤が選んだのは、強豪国のロシアでもまれる道。「ヤリギン国際大会」が開催され日本でも有名なクラスノヤルスクへ渡り、レスリングを続けた。スポンサーはない。ビザが切れる度に帰国し、アルバイトで貯めたお金を持ってクラスノヤルスクへ戻る生活を4年間、おくった。

▲2016年10月にロシア・ヤクーツクで行われた「ドミトリ・コーキン国際大会」では、日本チームを世話した(右端が赤澤。その左は優勝した高谷大地=当時拓大~現自衛隊)

 いくら強豪にもまれて練習していても、生活基盤が安定していない中でのレスリング活動は厳しかったのだろう、帰国して参加した天皇杯全日本選手権や明治杯全日本選抜選手権では上位に行くことができず、オリンピックへの道は遠かった。それでも夢を持ち続けた。目に留まったのが、親しいロシア選手が、層の厚いロシアではなく、国籍を変えて2016年リオデジャネイロ・オリンピックに出場したこと。

 マラソンに打ち込んだタレントの猫ひろしさんが、国籍をカンボジアに変えてリオデジャネイロ・オリンピックに出場した例もあり、国籍変更という方法が脳裏をよぎった。予選を通過しやすい国としてオセアニアが思い浮かび、ちょうど中学時代の英語教師が国際協力機構(JICA)の活動でサモアに派遣されて柔道を指導していたので連絡。それがきっかけで2017年6月、サモアへ移住した。

地元女性と結婚して永住を決意、しかし国籍変更が間に合わず

 サモア・レスリング協会のジェリー・ウォルワーク会長が赤澤の熱意を買ってくれ、サポートを得ることができた。翌年、現地の看護師シナバレーさんと結婚。国籍変更の申請をして東京オリンピックを目指したが、残念ながら間に合わなかった。「サモアは国籍取得が厳しいのです」とのこと。

 現在の職業は、マッサージ店経営。同協会の支援のもとレスリング活動を続けている。今回、ロックダウン(移動制限)が解除されて日本に戻る用事があり、この機会に自分の立ち位置を確認すべく大会出場を決意。地元の2選手とともに、個人戦両スタイルと団体戦にエントリーした。1選手が父の急病で来日不可能となり、団体戦の出場はできなくなったが、マウラオ・ウィリー・アルフィポが両スタイルに出場(ともに2位)。経験を積ませることができた。

 アルフィポは以前ラグビーをやっていて、レスリングのキャリアは約2年の25歳。赤澤が「ラグビーとレスリングは共通するものがある。週一回でもいいからやってみたら?」と“引き込み”、だんだんと専念させたという。今年8月のコモンウエルス大会(英国)に出場。トンガの選手にテクニカルフォール勝ちするなどして5位に入った。

 アルフィポは、朝練習のあとカカオ農家の仕事をやり、夕方、マットでの練習という生活。今大会の2位に「うれしいです。日本はとてもハイレベルです。この中で闘うことができてうれしいです」と話し、このあとの目標は「オリンピック」ときっぱり。

▲ラグビーで鍛えた体力は抜群。両スタイルで2位に入ったマウラオ・ウィリー・アルフィポ

 2人は12月末まで日本に滞在。母校の花咲徳栄高や日大を中心にレスリングを学ぶという。赤澤はこの大会で3位に入賞したので、全日本選手権への出場資格を得たが、「出ないです」とのこと。今回は自分のレベルを知るために出たが、“サモアの人間”として、日本一を競う大会とは一線を引く腹積もりのようだ。

無名だった花咲徳栄高校を全国トップに引き上げた!

 高校進学のとき、当時は無名に近い存在だった花咲徳栄高を選んだ理由は「強いチームに入って強くなるより、無名高に入って強い学校を次々と倒したかった」だった。その言葉通り、3年生のときの関東高校大会で霞ヶ浦高(茨城)の14連覇を阻止。インターハイの学校対抗戦は決勝で霞ヶ浦に屈したが、赤澤が同高初のインターハイ王者へ(関連記事)。花咲徳栄高の伝統は、この年から始まったと言えよう。

▲2008年インターハイ決勝(埼玉・東松山市)。地元で花咲徳栄初の王者となりガッツポーズ!

 今、サモアを舞台に燃やしている情熱は、“あのとき”とまったく同じと言っていい。サモアは年間を通じて気温が高くて一定。平均気温は最低が23度で、最高が31度くらい。練習は、昭和時代の日本で多くの町の神社脇などにあった相撲場のごとく、屋根のついた野外。エアコン付きの練習場も多くなった日本とは雲泥の差で、「毎日、汗まみれの中での練習です」と言う。

 ラグビーが盛んな国なので、普及にも困難はあるが、柔道でオリンピック出場を果たした選手もいる。レスリングでも、2000年シドニー・オリンピックには、グレコローマン76kg級でファーフェタイ・イウタナが出場している。2011年まではオセアニア選手権で優勝した選手もいた。土壌がないわけではない。

 自身の夢の実現は、サモアでのレスリングの普及につながる。まずはパリ・オリンピックへ向けて全力集中し、国籍変更の朗報を待つ予定だ。高校時代の同期生はほとんどがマットを去るか指導の道を歩む中、“2008年世代”がオリンピックへ向けてあくなき情熱を燃やす!

▲全国社会人オープン選手権の運営を手伝った花咲徳栄高の後輩とともに。列左端は高坂拓也監督

▲父・顯保(あきやす)さん(中央)、マウラオ・ウィリー・アルフィポとともに







2023年世界選手権/激戦の跡
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