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2022.12.02

【2022年全国中学選抜U15選手権・特集】血筋は世界ナンバーワン! 「気持ちはだれにも負けません」…1年生王者に輝いた男子57kg級・齊藤巧将(東京・六機KID’S)

 

 キッズ・レスリングの隆盛により、中学でも高校でも「1年生王者」が誕生することが以前よりも多くなった。ただ、上級生も同じだけのキャリアのある選手ばかり。成長期なので体力的に上級生の方が有利であるため、そう簡単に生まれないのも事実だ。2022年東京都知事杯全国中学選抜U15選手権では、1年生で決勝進出したのは男子で2人のみだった。

 優勝したのが57kg級の齊藤巧将(東京・六機KID’S)関連記事。決勝は見事ながぶり返しを連続で決めてのテクニカルフォール勝ち。優勝が決まると、セコンドについた父・将士さん(2007年アジア選手権優勝=前全日本女子コーチ)のもとに駆け寄ると、父からしっかりと抱きしめられ、バックステージで歓喜の涙を流した。

▲1年生王者に輝いた齊藤巧将(東京・六機KID’S)と父・将士さん、母・綾子さん=撮影・矢吹建夫

 「うれしいです。その気持ちが一番です」と、表彰式が終わっても歓喜冷めやらぬ齊藤は、1年生での優勝に水を向けられると、「気持ちはだれにも負けないつもりで闘っています。練習もしっかりしてきて、練習通りの技を出せました」と言う。

左右のがぶり返しを使い分けて攻撃

 準決勝までの5試合は、判定勝ちが3試合とまずまずだった。決勝では会場を歓喜と驚嘆で包んだ。低い構えで相手にプレッシャーをかけ、場外とアクティブタイムによるコーションで第1ピリオドを2-0とリード。第2ピリオド、相手のタックルを受けると、がぶり返しを決め(4点)、粘る相手にもう一回転(2点)。ブレイクの後、反撃を試みる相手のタックルをキャッチし、今度も4点となるがぶり返し。

▲4点のがぶり返しで6-0としたあと、2度目のがぶり返しで8-0とリードを広げた齊藤=撮影・矢吹建夫

 「がぶり返し」が中学生の大会でも出ること自体は、昨今、珍しいことではないが、決勝という緊迫した舞台で連続で出せるのは特筆もの。しかも、最初の2回転は右側へ回しての技だが、最後は左側へ回してのポイント。左右のがぶり返しを使い分けられては、相手もなすすべがないのは当然とも言えよう。

 十分に練習を重ねた技で、これまでの試合でも使ってきており、精度を高めるため磨きをかけてきた。現在は日大で大学生を相手に練習することが多く、格上の体力のある選手の中でもまれた技なのだろう。「だれの指導を受けた?」との問いに、「自分でいい位置を極められるよう研究しました」と、自身の工夫による技であると説明。父・将士さんも「自分がやっていたのとは、かけ方が違うんですよね」と話す。本人が考え、工夫したオリジナルな仕掛けのようだ、

レスリング一家だが、レスリング一筋の小学生時代ではなかった

 競技の血筋が素晴らしい選手。父・将士さんは全日本選抜選手権55kg級2位などを経てアジア王者へ。2008年北京オリンピックを目指した後、60kg級へ上げて2012年ロンドン・オリンピックへも挑戦。その後、全日本女子チームのコーチを長く務めた。母・綾子さんは学生チャンピオンに輝き、世界大学選手権に出場したこともある。

 両親ともにレスリング選手だったというケースは、栄希和・現至学館大コーチ川井梨紗子・友香子姉妹もそうで、最近は珍しくない。齊藤の場合、2人の祖父とも名選手という稀に見る血筋。日本のみならず世界初のケースではないか。

 将士さんの父・齊藤勝彦さんは1969年世界ジュニア選手権(米国)で優勝し、1973・74年の男子フリースタイル62kg級全日本王者。1974年世界選手権(トルコ)6位のほか、1974年アジア大会(イラン)にも出場。1976年モントリオール・オリンピック出場は逃し、引退後は地元の秋田・潟上市で「勲武館道場」を運営。キッズ選手の育成に力を入れた。

 母・綾子さんの父・菅芳松さんは自衛隊でレスリングを続け、男子フリースタイル57kg級のトップ選手。1972年ミュンヘン・オリンピック出場は逃したあとグレコローマンに転向すると、瞬く間に全日本王者に輝き、1976年モントリオール・オリンピックは4位に入賞。その後、自衛隊のコーチを経て昨年9月まで日本協会の事務局長としてレスリング界を支えた。

▲祖父・菅芳松さんに祝福される=提供・将士さん

 加えれば、綾子さんの母・菅登貴子さんは女性レフェリーの先駆者であり、兄・太一さんはグレコローマン76kg級で2001年アジア選手権で優勝。2004年アテネ・オリンピックの候補選手だった。これだけの遺伝子と環境の中で育てば、若くして台頭するのも当然だろう。

 だが、意外なことに、小学生時代の全国大会は、最終学年の昨年、熊本で行われた大会での優勝のみ。小学生時代は柔道もやっており、両親は「何が何でもレスリング」という指導ではなかったようだ。

レスリングに生かすため柔道の投げ技を学んだ

 本人は「全国大会はそう(優勝1回)ですが、地域の大会では何度か優勝しています。柔道をやったのは、レスリングで使える投げ技を学ぶため」と説明。幼少の頃からレスリングで世界に出たい気持ちを持っていたことを話す。父が「(通っていた)朝飛道場の柔道と礼儀作法の指導がすばらしく、感謝している」という柔道に区切りをつけ、今はレスリング一本。投げ技を磨いたということは、将来はグレコローマン希望か? その問いには、「両方でチャンピオンになります」ときっぱり。

 試合直後に息子を抱きしめた父は「1年生なので、チャレンジャーという気持ちで向かわせました。素直にうれしいです」と言う。自身は中学3年生のときの1997年に全国中学生選手権で優勝しているが、「もう抜かされましたね」と笑う。ちなみに、1年生のときに出場した同大会は、現在、花咲徳栄高校を指揮する高坂拓也監督に「40秒くらいで負けた」そうで、チャンピオンは程遠かった。

▲優勝のあと、セコンドとして試合を見守った父の元へ駆け寄った=齊藤綾子さん提供

 勝利の要因は「落ち着いて試合を組み立てられるようになったこと」と言う。また、レスリングへの意識が高まり、三重・一志ジュニアをはじめ様々なクラブに一人で出げいこに行くなど、「たくさんのことを学ぶ姿勢ができて、それが生かされた」と見ている。

 来年の目標は中学2大会(全国中学生選手権とこの大会)での優勝。齊藤は「追われる側になるので、研究されても、され切れない選手になることを目指します」と、喜びの中にも今後へ向けて気を引き締める。父は「スポーツは楽しまなければならない、が私のモットー。レスリングは厳しいスポーツ。競技人生は長いので、勝敗にこだわることなく、自分自身の向上に視点を向けて、のびのびと楽しんで取り組んでもらいたい」と、力が入りすぎないことを求めた。







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