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2023.01.01

【新春対談】松本薫さん(柔道)と岡村優さん(ゴルフ)がレスリング時代を振り返り、古巣へ熱きメッセージ(1)

 

 オリンピックでは常に金メダルを獲得し、日本スポーツ界の重要な役割を果たしているレスリングだが、レスリングをベースに他の競技や分野へ進み、活躍している人も少なくない。どんな分野に進んでも、レスリングへの思いを持って活躍してくれるのなら、それは“レスリング界の誇り”だ。

 小学校時代にレスリングに親しみ、柔道で2012年ロンドン・オリンピックの金メダルを手にした松本薫さん(石川・岩井塾出身)と、全国大会4度優勝の実績をもってプロゴルフの道に進んだ岡村優さん(茨城・だっぺクラブ出身)のお2人に、レスリング時代の思い出を中心に話してもらった。(司会=布施鋼治)

▲レスリング時代の思い出を語った松本薫さん(左)と岡村優さん=撮影・保高幸子


――本日は、よろしくお願いします。松本さんにはオリンピックでも金メダルを取るまで、岡村さんにはゴルフでプロ転向してから、さらにその後の努力についてお聞きしたいと思います。お2人の共通項が、キッズ・レスリング出身であることです。レスリング時代のことを振り返りつつ、お願いしたいと思います。

松本 お互いにレスリングをやっていた2人が、こうして会うというのは、不思議な感じがしますね。岡村さんは全国大会4連覇でしょ。「えー!」と思いましたよ。私は、レスリングでは一回も優勝していないです。

岡村 レスリングをやっていたのは、小学生の時ですか?

松本 そうです。柔道がメインなんですけど、レスリングもやる道場だったんです。

岡村 合同でやっていたんですか?

松本 週6回柔道で、週1回がレスリングで、という道場でした。レスリングの動きやトレーニングが柔道に役立つということで、柔道の一環としてレスリングも取り入れていたんです。岡村さんはレスリングだけ?

岡村 5歳からレスリングを始めて、小学校2年でゴルフをやるまでは、レスリングだけでした。兄(2005年全国少年少女選手権優勝を経て野球へ。2013年WBCに中国代表で出場)の影響です。試合もたくさん出ましたね。

松本 いつの全国大会で優勝したんですか?

岡村 小学校2年から5年までです。

松本 すご~い! 何というクラブ?

岡村 茨城県龍ヶ崎市にある「だっぺクラブ」というレスリング・クラブです。

松本 茨城弁のクラブ名? かわいいね(笑)。茨城の人、「~だっぺ」って言いますもんね。レスリングの強いクラブというと、吹田クラブ(大阪・吹田市民教室)というイメージが強くありますね。「だっぺクラブ」は強かったんですか?

岡村 兄も全国大会で優勝していますので、まあまあ強かったクラブですね。

▲2012年元旦、東京・味の素トレーニングセンターで柔道とレスリングの合同練習を実施。前列中央が松本薫さん

レスリングは階級が細かく分かれていて、勝ちやすかった。勝つと楽しい…松本薫

――お2人がレスリングを続けていたモチベーションは何でしたでしょうか。

岡村 体力がつくというか、運動をするのが好きだったからだと思います。

松本 楽しかった?

岡村 楽しかったです。練習はきつかったですけど…。

松本 私は柔道が中心で、柔道のためにレスリングをやっていたわけなんですけど、レスリングの方がいい成績を残せたんです。柔道では全然勝てなかった。レスリングは階級が細かく分かれているでしょ。だから勝ちやすかったのでしょう。

――松本さんは、レスリグでは22kg級で出た記録が残っています(1995年全国大会=小学校2年生のとき)。

松本 小さかったんです。

岡村 柔道は階級制じゃないのですか?

松本 小学校のときは男女一緒で、「低学年の部」とかに分かれていました。レスリングのように体重で分かれていないんです。勝つと楽しいからレスリングも続けられました。ただ、練習はきつかったですよ。ブリッジとか、ポンポン飛ぶ練習とか。練習のほとんどがトレーニングで、スパーリングは最後にちょっと。めちゃきつかった思い出があります。

岡村 確かに、スパーリングが一番楽だ、って思いましたね。

松本 何kg級でやっていたの?

岡村 私は身長があって、いつも一番重い階級でした。

松本 じゃあ、計量の苦労はなかったんですね。私は、今だから言えるけど、けっこうチョンボ(不正)していたんですよ(笑)。小さくて、体重が足りなかったんです。計量のとき、Tシャツの背中に水を入れたペットボトルを隠して体重を増やしていたんです(笑)。

岡村 下の階級に出ればよかったんじゃないですか?(22kg級の下には20kg級があった)

松本 先生から「何kgだ?」と聞かれて、軽すぎると怒られるんですよ。多めに言っていたので、その階級に出ないとならなかったんです。

▲プロゴルファーとして、日本ツアーのほか、中国ツアー(CLPGA)、台湾ツアー(TLPGA)でも活躍中の岡村優さん=本人提供

スパーリングより体力トレーニングがきついレスリング

――レスリング時代で一番つらかったことって、何でしたでしょうか。

松本 やっぱり、トレーニングですね。ブリッジとかも大変でしたけど、レスリングはおんぶが好きですよね(笑)。体育館を走って、最後の一周、だれかをおんぶして走ったり、階段を昇ったりする練習があったんですけど、私が一番軽かったので、いつも自分より重い選手をおんぶするわけです。きつくて(笑)。スパーリングより、トレーニングのきつさの思い出があります。

岡村 確かにレスリングのトレーニングはきついですね。私はサーキット・トレーニングが嫌でした。ジャンプしたり、バービーしたり、腹筋や背筋を何セットも動き続ける練習が本当にきつかったです。

――松本さんは、小学校のときにレスリングで闘った相手で、その後、有名になった選手はいますか?

松本 吹田クラブに西牧未央という強い選手がいて(全国大会7連覇)、のちに世界チャンピオンになりました(2009・10年)。ずっと勝てなかったと思っていましたけど、今、全国大会の記録を見せてもらったら、私が勝てなかったのは同じ吹田の国枝美香という選手でしたね(のちに堺女子高~同志社大)。西牧選手とは、どこかで1回闘った記憶があるんです。でも、負け続けていたのは国枝選手の方でした(笑)。

岡村 22kg級とか24kg級とかですね。

松本 かわいいでしょう(笑)。これも、ズルしての体重なんですけどね(前述)。岡村さんは、有名な選手はだれと闘いました?

岡村 今でもやっている選手は少ないですね(注=志土地真優と同期だが、同じ階級だったことはない)。小学校のときは男子ともよくやりまして、山本美憂さんの息子さんの山本アーセン選手と何回かやっています。学年はアーセンさんが一つ上なんですけど、力が強くて。同点で終わっても押されていたので、審判の判定で負けることが多かったです。

▲松本さんが若い岡村さんを引っ張るようにし、和やかに進んだ対談=撮影・保高幸子

――山本アーセンに勝ったこともあるのですか?

岡村 あったような気もしますね。でも、1-0とか接戦だったと思います。

松本 得意技は?

岡村 相手の片足を手で引っ掛けて倒すタックルですね。

松本 リーチが長いですもんね。突っ込む選手?

岡村 突っ込む選手でしたね。でも、技はそんなになかったですよ。力で闘っていた感じです。力だけでした。

松本 レスリングは、タックルで突っ込む派と、うまく回り込む派に分かれますよね。私は回り派。

――レスリングのときも技巧派だったんですね。

松本 技巧派? いいこと言いますね(笑)。

▲松本薫さんのレスリング時代の全国少年少女選手権成績

《続く》

 

 







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