国際オリンピック委員会(IOC)理事会の下した“レスリング除外”に、世界のスポーツ界が驚き、反対の意見が盛り上がり、IOC内部からも疑問の声が挙がった。一方で、IOC理事・委員の証言などから除外経緯の全容が明らかになり、国際レスリング連盟(FILA=現UWW)にかなりの問題があることが分かった。
IOCのセルミャン・ウン副会長(シンガポール)は「今に始まったわけではない。FILAの問題だ」とコメント。ロンドン・オリンピックに関する調査の際、「FILAは多くの項目でIOCの質問に答えられなかった」と、組織の体(てい)をなしていないことを指摘。
セルゲイ・ブブカ理事(ウクライナ)は、理事会での投票の前に行われた論議で「FILAは重要なガバナンス構造を欠いている報告がなされた」ことを説明。理事会の決定を具体的に運営する機関や、選手委員会、女性委員会がないことが問題と指摘した。
クリストファー・デュビ競技部長(スイス)は、グレコローマンが男子7階級、女子0階級という状況であるにもかかわらず、改善の姿勢がないことが除外の一因だったとし、IOCの理念である男女平等・男女同選手数に対するFILAの意識の低さを指摘。デニス・オズワルド委員(スイス)も「IOCは以前からグレコローマンとフリースタイルの統一を求めていたが、FILAの反応は鈍く、これがレスリングの除外につながった」ことを明らかにした。
IOCのジャック・ロゲ会長(ベルギー)は、のちに、「FILAの運営があまりにまずかったからだ。理事会に選手がおらず、選手が一切の投票権を持たないほか、幹部に女性がいない。ルールが一般人に分かりにくく、連盟がテレビ観戦に適したスポーツへの変革に後ろ向きだ」などと説明した。
IOCが発表したロンドン・オリンピックの報告では、FILAがSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の集計資料を持っていないことが報告された。
2012年ロンドン大会の段階での各IF(競技連盟)のフェイスブックのフォロワー数は、同じ格闘技の柔道で約25万、テコンドーで約7万であったのに対し(1位はバスケットボールの約33万)、レスリングは、フェイスブックやツイッターこそ存在していたものの、統計資料がなく、フォロワー数は1万もいっていなかったと思われる。こうした情報発信に対する後進性も、除外に大きな影響を与えたことが推測された。
国際舞台で必要な“ロビー活動”もなかった。2月の理事会のとき、会場となったローザンヌのホテルにレスリング関係者はだれもいなかったという。これは26競技中、唯一の競技だった。日ごろからのIOCとのパイプをつくることをせず、「除外はありえない」という思い込みがあって危機感が全くなかったのが現実。IOCのある理事が、「レスリングの会長の顔も見たことがない」という発言が報じられるなど、IOCと疎遠だった。
ラロビッチ会長代行(5月のFILA臨時総会で会長に就任)は、独裁的な運営で旧態依然とした組織だったことが除外の大きな要因だったことを把握するや、事態の改善に取り組んだ。5月のFILA臨時総会(モスクワ)で、IOCから指摘のあった選手委員会と女性委員会を新設。理事に最低3人の女性を入れて女性の副会長を誕生させる方針を打ち出すとともに、技の展開が活発になるようなルールに変更した。
メディア対応の遅れをばん回するため、IOCのプレスコミッションの元メンバー、ロバート・コンドロン氏(米国)にFILA広報担当を依頼。半年間だけだが、スイスのFILA本部に常駐してもらい、メディア対応やホームページ、フェイスブックの充実など広報体制を刷新。世界的なスポーツコンサルト会社「TSEコンサルティング」と契約。国際陸上競技連盟、国際水泳連盟、欧州サッカー連盟、国際学生スポーツ連盟などを世界的なスポーツに押し上げた“改革のプロ”に、組織リニューアルのサポートを依頼した。
米国では、政治的に対立している米国、イラン、ロシアによる対抗戦を開催。国連本部で記者会見し、「レスリングは世界をひとつにまとめることができるスポーツ」とアピール。2015年には、世界のビッグスポーツが行われ、世界的な歓楽地のラスベガスでの世界選手権開催の誘致に成功。「ラスベガスでできるスポーツ」であること世界に訴えた。
日本では、除外決定直後の2月末から署名活動を展開。当初は「10万人」が目標だったが、最終的に約94万人分の署名が集まった。署名がIOCに対してどれだけ効果があるかは分からなかったが、レスリングを守ろうとする熱い気持ちが多くの人の行動へとつながり、数字に表れた(署名活動紹介1 / 2)。
94万人の署名が集まったことは、国内外のメディアのほか、米国協会やロシア協会のホームページなども報じ、大きなパワーとなって存続運動をサポートした。FILAのラロビッチ会長は共同通信のインタビューに対し、「日本の署名運動は大変心強かった。われわれは、世界中から強力な支援を受けている」と回答。ドイツでも約10万人の署名が集まっており、草の根レベルの支援もIOCへのアピールとなった。
日本協会の福田富昭会長(当時)は、東京オリンピック招致の重責もあり、八面六腑(ろっぴ)の活動を展開した。IOC理事会による除外決定直後にタイで行われたFILA理事会へ飛び、帰国すぐに日本記者クラブの要請に応じて会見に出席。4月のアジア選手権(インド)でアジアの団結を訴え、候補8競技を3競技に絞る5月29日のIOC理事会(ロシア・サンクトペテルブルグ)へ明治杯全日本選抜選手権を控えている吉田沙保里選手を連れて向かい、IOC理事へのロビー活動に力を注いだ。
吉田選手は、3つのオリンピック金メダルを首から下げてIOC委員と接触。約1週間、練習ができず、日本協会の中には「もし明治杯で吉田が優勝できなくても、別の機会にもう一度闘わせることがあってもいいのではないか」との声もあった。
これに対して吉田選手は「子供の頃からオリンピックを目指して練習を重ねて来たからこそ、3連覇を成し遂げられた。今、世界中の子供達が同じ夢を持って頑張っている。その夢とレスリングの歴史が断たれることのないように、という思いです。レスリングにとって大事な時なので、時間を作るのは苦ではありません」と、レスリング存続へのために行動していることを強調し、正式な話があったとしても、特別待遇を辞退する意思を示した。
世界中の多くの人たちの熱き思いに支えられたFILAのスピーディーな改革に対し、IOCのロゲ会長は5月末、「FILAは(IOC理事会が)レスリングを除外勧告した理由をしっかりと理解し、やるべきことをやって、とてもいい仕事をした」と、迅速な努力を評価した。
5月29日のIOC理事会での理事による投票の結果、最終の3競技に残った。投票は、過半数を超えた競技をはずし、残った競技で再投票する方法で行われ、レスリングは最初の投票で14人中8票を獲得して“当選”。存続の第一候補の位置を獲得した。他に野球&ソフトボールとスカッシュが選ばれた。
福田会長は「100万人に近い支援(署名)をいただいたことが私たちの背中を押してくれた。心から感謝したい。まだ“予選通過”です。9月に向けて頑張りたい」と、吉田選手は「ロシアに来て本当に良かった。9月が決勝戦。絶対に残らないといけない」と、それぞれ表情を引き締めながら話した。
《後編に続く》