隠岐島前高校は、離島(北海道・本州・四国・九州・沖縄本土を除く島)で唯一レスリング部が存在する高校だ。河内龍馬監督は「意識したことはなかったですが、そうですね」と笑う(つい最近まで、広島・広島商船高専が高体連レスリング専門部に加盟していたが、柔道部の選手がレスリングに出場するための加盟だった)。レスリングはかなり前から盛んにおこなわれていた。
1973(昭和48)年に隠岐水産高にレスリング部が創部され、1979年に隠岐島前高でもスタート。隠岐水産高が1999年に廃部となり、隠岐島で唯一のレスリング実施校となったが、インターハイ出場の常連であり、全国王者(中村勇士=前述)も生まれた。県から強化指定校としての支援を受けている。
10年ほど前、「隠岐を“女子レスリングの第2の虎の穴”にしよう」との気運が盛り上がったことがある。島根県出身で1996年アトランタ・オリンピック代表の環太平洋大・嘉戸洋監督(島根・川本高~国士舘大卒)が中心となり、2011年8月、法大、早大、至学館大、日大、東海大、明大、日体大、国際武道大、徳山大が集まって合同合宿を実施。
愛知・至学館高と地元の島根・隠岐島前高、さらに東京・AACCや島根県内のキッズ教室選手も加わって、女子の一大合宿が開催された(関連記事1、関連記事2)。地域の活性化を目指す地元にとっても歓迎すべきことで、高校のある海士町や島根県レスリング協会、島根県教育委員会などからの全面的な支援を受けた。
嘉戸監督は、学生選手に対して「ナショナルチーム以上に高い意識で練習に臨まなければ、トップに上がってはいけない」と厳しさを求める一方、「道場を一歩出れば都会にはないリラックスできる環境がある。練習に必死に取り組むことは当然だが、練習以外の時間はこの自然を楽しんでほしい」と話し、オンとオフの切り替えには最高の環境であることを強調していた。
河内監督の記憶によると、「5年くらい続いた」そうだが、環太平洋大にレスリング部がなくなったこともあって自然消滅してしまった。この合宿の再開を目指すのも、隠岐島のレスリングを発展させる一つの方法と考えている。「練習のあとには、海水浴やBBQ(バーベキュー)もできます。島にはレスリング部OBが多いので、取ったばかりのイカやサザエなどを差し入れしてくれますよ」と話し、離島ならではの魅力を話す。
他に、遊覧船での観光、スキューバダイビング、シーカヤックなどのマリンスポーツ、トレッキング、釣り、星空ウォッチングなどもできる。練習に明け暮れる合宿も大事だが、練習の合間や合宿後に楽しみが待っている合宿も悪くはない。気持ちが盛り上がる練習になるはずだ。
隠岐島前高のレスリング場の壁に、指導でこの道場を訪れた強豪選手の色紙が、ずらりと飾られているのも、この地にレスリングが根づいており、盛り上げようとする雰囲気があるからにほかなるまい。
女子の合宿がなくなり、代わって、というわけではないだろうが、2018年には全国少年少女選抜選手権3位以内の小学校6年生らによる日本協会主催の「レスリング・エリート・スプリングキャンプ」が島後にある隠岐の島町総合体育館で開催された。全国少年少女連盟の高村行雄副会長が同体育館の館長を務めてたことにより実現した。
島根県の発表資料によると、2022年現在の隠岐島の人口は約1万9000人で、0~14歳の“子供人口”は約2000人。ここに2つのキッズ教室があるのだから、人口比で考えるなら、子供がレスリングに接する機会はかなり高い。
ただ、昨今の少子化の影響を強く受けているのが離島。1989年には246人いた隠岐島前高校の生徒数は、2008年には89人にまで減少。廃校も考えられた。2045年には人口1万2000人、子供人口が1300人に減ることが予想され、レスリングどころか、あらゆるスポーツ、地域の活気、いずれは町そのものが消滅してしまう危機に直面していた。
そこで、2008年に隠岐島前高校と島前三町村(西ノ島町、海士町、知夫村)の行政・議会・中学校・保護者・同窓会による「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠の発展の会」が発足。島外からも生徒が集まる学校づくりを目指す「島前高校魅力化プロジェクト」をスタートさせ、「島留学」をキャッチコピーとして、2010年度から県外生の受け入れを開始した。
「生徒が行きたくなる」「保護者が行かせたくなる」という魅力的な学校と地域づくりを目指し、それを全国にアピール。入寮生を対象とした寮費補助制度もあり、離島では異例となる生徒数の倍増が実現した(2018年の生徒数は184人にまで回復)。日本全国、さらにはモンゴルやインドからも生徒が集まる高校になり、レスリング部にも数人の島留学生が入部している。
現在、国土交通省が離島活性化を図るため島留学を推進し、ホームページでも呼び掛けているが、先鞭(せんべん=他に先駆けること)をつけたのが隠岐島前高の取り組みだ。同高の成功があったから、国も動いた。
どんな崇高な理想を掲げても、現場で携わる人間の熱き思いと行動がなければ、結果は出ない。人口増という結果が出ていることが、このプロジェクトが形だけではなく、魂のこもった取り組みである証拠。現在では、「大人の島留学」も募集し、この地に永住して発展に貢献してくれる人を求めている。
レスリング部でも、定期的にオンラインによる「選手募集」の説明会が行われている。温水シャワーやサウナもあってレスリングに集中しやすい環境であることや、寮の完備、県の強化指定を受けて多くの面で優遇されていること、大学王者の指導を受けられることを訴え、レスリング未経験者を含めて全国から選手を募集している(下記=全国から部員を募集するパンフレット)。
「地元の子だけでは強くなれない。県外の選手をスカウトして、競い合って勝利を目指すことが目標です」と河内監督。廃部になってしまったが、隠岐水産高校卒業の佐々木文和(当時日体大4年)が1980年モスクワ・オリンピックの幻の代表になっており、離島の高校からのオリンピック出場は決して不可能ではない。
“たたきあげ”(下積みから苦労して実力をつけること)の大学王者がコーチに加入し、練習環境は大きく前進した。だが、それは過程であり、ゴールではない。ここからが、本当の勝負。隠岐島全体のレスリング熱を高め、選手のモチベーションをつくり、世界を目指す選手を育成していくことが今後の課題だ。
オリンピックを目指す若者よ、自然環境・文化・伝統が残り、何よりもチャレンジ精神にあふれている隠岐へ集まり、離島で情熱を燃やせ!
《完》