「やっぱり、(勝負は)甘くないな、と思いました」。女子3選手(39kg級・牧野心咲=宮崎・日南市スポーツクラブ出身、42kg級・阿久津こはる=福島・田島チビッ子クラブ出身、54kg級・湯田鈴=同)が決勝に進み、創部3年目にして初の全国チャンピオン達成の可能性が高まりながら、いずれも敗れてしまった福島・ふたば未来学園中の砂川航祐監督は、残念そうに話した。
ただ、3選手とも小学校時代から通じてずば抜けた実績があるわけではない。昨年は女子の全選手が初戦敗退だった。「それを考えると、頑張ったと思います。練習で出るミスが試合でも出ました。11月の全国中学選抜選手権までにはしっかり直したいと思います」と前を向いた。
着実に前進しているのは間違いない。今年2月のU13ジャパンオープンで女子54kg級の保坂樹奈(今大会は50kg級3位)が優勝し、初の全国チャンピオンが誕生。4月のJOC杯ジュニアクイーンズカップでも中学生と高校生で1選手ずつが勝ち、U17世界選手権(7月、トルコ)の出場が内定。世界への飛躍もスタートする。
同高校・中学の創設は、2011年3月の東北地方太平洋沖地震に起因する。地震で発生した福島第一原子力発電所事故のため、同県双葉郡の高校は県内に分散。教育に困難が生じた。復興を目指し、「鍵は教育にある」との考えのもとで自治体を中心に中高一貫教育へ取り組み、2015年にふたば未来学園高が開校。2019年に中学もスタートした。
従来の高校教育の枠にとらわれない特色ある教育を実践。全国から生徒を集め、教育関係者からの注目が高まっている。高校のスタートにあたり、県レスリング協会の渡部友幸会長が関係各所に働きかけてレスリング部をスタートすることになった。中学では、バドミントン部とともにトップアスリート部活動に認定され、レスリングの授業が週3回組み込まれているなど特別な存在となっている。
高校と中学のレスリング部を指導しているのが、茨城・霞ヶ浦高と日体大で主将を務めた砂川監督(勤務は附属高校)。一時期、千葉・日体大柏高でコーチと監督を務め、チームを全国一に導くなど指導能力は実証済み(関連記事)。国際交流基金文化協力主催事業の一環としてアフリカのスーダン共和国でレスリングの指導を行った経験もあり(関連記事)、幅広い活動をしてきた。
2021年の創部とコロナ禍が重なったこともあり、この大会は昨年が初出場。男子38kg級で、千葉・松戸クラブ出身で前年の全国少年少女選手権優勝の稲葉広人が3位入賞を果たしたが。他は初戦敗退。11月の全国中学選抜U15選手権は、稲葉が4位に終わってメダルを逃したものの、4選手がベスト8へ進出して一歩前進。
今大会は女子3選手が決勝に進出。残念ながら優勝はならなかったが、他に男子1選手と女子1選手が3位に入賞。短期間で大きな躍進を遂げた。やはり、教える技術は卓越したものがあるのだろう。
同監督は、大阪・吹田市民教室でレスリングを始め、茨城・霞ケ浦高、日体大と、いずれも部員数が多く、しかも全国から屈指の選手が集まる集団の中で活動してきた。創部間もない千葉・日体大柏高で指導の道を歩んだが、全国からトップ選手が集まったチームだった。いわば、“エリートの巣”育ちだ。
一転して、現在は部員9人(男子5人、女子4人)のチームの指導者。発展途上の選手の集まりで、自らが歩んできた道と大きなギャップがあるのではないか。その問いには、苦笑いを浮かべた。創部のときは3人の部員。「3年生のときまでに、どうやったら結果を出せる選手に育つのだろうか、と考えた」と振り返る。
出た結果が、「選手たちと一緒にやってみる」こと。霞ヶ浦高~日体大で培った技術や練習方法を押しつけてはならない。時に話し合いをしながら、それぞれの選手に合った練習方法をさぐり、信頼関係を構築しながら一歩ずつ歩んできた。
全選手が親元を離れて寮生活をしていることもあり、指導はマットの上だけではない。寮官ではないものの、「レスリングが強いだけでは駄目」の信念のもと、保護者に代わって人間性を高めるための努力も怠っていない。「繰り返し伝えることで、少しずつでも理解してくれていると思います。行動に移してくれています」と話す。
人間性豊かな選手には、学校の先生や地域の人たちの応援も大きくなり、それがパワーとなって本人に還ってくる。逆に言えば、人間性の欠如した選手を応援する人は少ない。大勢の人たちに支えられてこそ気持ちが高揚するのであり、競技力を高める大きな要因になる。日本オリンピック委員会(JOC)のスローガン「人間力なくして競技力向上なし」の実践でチームを育てていると言えよう。
昨年の全日本選手権に出場した福島県出身選手は、宍戸拓海(当時日体大=ふたば未来学園高卒)と榊流斗(当時山梨学院大)の2選手のみ。過去現在ともレスリングの強豪県とは言い難く、オリンピック選手は1988年ソウル大会の大久保康裕(当時自衛隊)の1選手だが、自衛隊に進んでからレスリングを始めた選手。インターハイ王者は1975年の渡部友幸(田島高=現協会会長)のみ。
この大会の優勝者は、2002年の渡部悠香(荒海中)、2006年の湯田雅美(田島中)、2013年の榊大夢(北信中)の3人で、秋の全国中学選抜選手権では一人も生まれていない。
そんな状況からの脱却は間もなくではないか、と感じさせてくれるふたば未来学園の急成長。バドミントンやサッカーでは、全国的に有名な選手を輩出している同校から、近い将来、世界へ飛躍するレスリング選手が生まれる-。