2023年天皇杯全日本選手権は、史上最高の470選手が参加して行われたが、初めて外国の審判員を招へいし、ホイッスルを吹いてもらった。来日したのは、国際IS級(最高位)ライセンスを持つリ・ジウ(Lee Ji-Woo)審判員で、韓国で6人いる女性の国際審判員の一人。まったくの中立の立場からの公正な審判と、国内における女性審判員育成のための試みだ。
同審判員は「パリ・オリンピックの代表を選ぶ日本最高の大会に招待していただき、とても光栄で感謝しています。とても素晴らしい大会。緊張はしましたが、より公正なレフェリングを目指して集中しました」と話す。会場の熱気は韓国にはないもので、「この熱気の中で審判をすることが、審判員の集中力につながり、技術向上に役立ちます」と話した。
選手時代は55kg級で闘っており、2004年アテネ・オリンピックに出場(当時はリ・ナラエ=Lee, Na-Lae=同国女子として唯一の出場)。吉田沙保里とは、2002年アジア大会(韓国)、2004年アジア選手権(東京)、2005年アジア選手権(中国)で対戦。日本には何度も練習で訪れており、新潟・十日町にある「女子レスリングの虎の穴」(桜花レスリング道場)で寝泊まりしたこともある。
それだけに、日本語も少しは理解できるが、基本は韓国語と英語。マットの上でときに選手に注意を与えているが、「フィンガー(指をつかむな)、オープン(脇を開けろ)、ネクストタイム・コーション(次はコーションだよ)といった簡単な言葉だけです」と言う。それでも、オリンピックを裁いたこともあるだけに、臆することなく注意を与えていることが多かった。
もっとも、国際舞台では英語が普通なのだから、選手からすれば、より国際的感覚で試合をやっている状況と言えよう。
2012年ロンドン・オリンピックにコーチとして参加したあと、本格的に審判員の道へ。2019年世界選手権(カザフスタン)前にIS審判に昇格し、東京オリンピックにも選ばれた。
招待は、日本協会・沖山功審判委員長の発案。同委員長は、注目の試合を出身大学などの色のない“まったくの中立”の審判員に裁いてもらうことで公平さを期すとともに、国際IS級の女性審判員を日本最高の大会に起用することで、女性審判員の存在を全国に認知してもらい、後に続く女性審判員へ門戸を広げるためと説明する。
石井亜海(育英大)-尾﨑野乃香(慶大)、森川美和(ALSOK)-尾﨑野乃香、乙黒拓斗(自衛隊)-清岡幸大郎(日体大)などを裁いたのは同審判員。私情をはさんで判定を下す審判員はいないが、片方の選手と審判員とが同じ出身大学などの場合、「偏っている」などと言われかねないのが現実。どのチームともかかわりのない審判員なら、痛くもない腹を探られることはない。
同審判員は、前記の対戦が「世界にとっても重要な試合」との認識は持っていても、「それほど緊張はなかった」とさらり。いずれも、両陣営からものすごい歓声があがった試合だったが、「ヨーロッパでは、もっとすごい歓声のときがあります」と言う。選手およびレフェリーとしてオリンピックのマットを経験したことが役だっており、「緊張はしても、それに縛られてはいけません」ときっぱり。
初めて参加した2019年の世界選手権のときは、イランとアゼルバイジャンの3位決定戦の試合で、ちょっとしたミステークをしてしまい、そのときは、すごいブーイングを受けたそうだ。「そういう経験も必要だと思います」と言う。
そのためにも、日本の女性審判員は「積極的に海外に出て、経験を積むことが必要。マットの上では、一人の女性ではなく、審判員として、さらにプロフェッショナルとして、スキルを上げて毅然とした強さを持たなければなりません」と言う。
今回の全日本選手権に参加した日本の女性審判は3人(古里愛里、清水真理子、齋藤ほのか)で、圧倒的に少ない。
日本国内の登録審判員393人のうち、女性は19人(4.8%)。全日本選手権の審判に必要なA級ライセンスを持っている割合はさらに低く、197人中わずか7人(3.6%)。女性の国際審判員は2人(古里愛里、渡部悠香)だけで、IS級はいない。IS級も含めて6人いる韓国に遅れをとっているのが現状だ。
リ・ジウ審判員は「すべての国が女性審判員の育成をする必要があります。日本はレスリングが強くて盛んな国ですので、本格的な育成が始まれば、すぐに増えると思います。私もサポートしたいと思います。日本の女性審判員と一緒に活動できる日を待っています」と結んだ。