現役復帰したのは、東京オリンピックが行われる約2ヶ月前のオーストラリア選手権。そして2022年9月、晴れてオーストラリア国籍を取得。
「ためらいは全くなかったです。あんなに嫌いだったのに、レスリングのために国籍変更…。めちゃくちゃ面白い人生やん、と思いました。日本のレスリング選手が国籍変更してオリンピックを目指した例はないと思います(注=山本美憂がカナダ国籍を取得して目指したが、予選には間に合わず)。誰も挑んだことがないことに挑戦するのはカッコいいなと思って」
家族には、国籍取得後に報告した。「親に相談して、『やめた方がいい』と言われて踏みとどまるなら、最初から考えなかったです。それくらいの覚悟だったんです」
それから1年以上がたち、パリ・オリンピックを目指す気持ちは真剣だ。その決意を人づてに聞いて、「うれしかったです」と喜んだのが、環太平洋大時代の恩師だった嘉戸洋さん(当時監督)。
2007年の開学とともにスタートした同大学のレスリング部は、諸事情によって2021年で終わってしまったが、アジア・チャンピオンや全日本チャンピオンを輩出し、島根・隠岐島での女子合宿開催に尽力するなど、女子レスリングの発展に大きな貢献をなした。
1996年アトランタ・オリンピック代表の嘉戸さんの教え子で、現在も活動を続けているのは、U23世界チャンピオンにもなった榎本美鈴が自衛隊で頑張っているだけ。榎本のパリ・オリンピックの道は途絶え、オリンピック選手育成の夢は大きく後退していた。そこへ、降って沸いたような増田のオリンピック挑戦。
「警察学校をやめるときも、オーストラリアへいくときも、きちんと連絡をしてきたんです。でも、オリンピックを目指すことは連絡してこなかった。中途半端な気持ちではなく、真剣だからこそ、オリンピック出場を決めてから連絡しようと思っているんだと思います」と推測。今では「教え子」という感覚ではなく、環太平洋大レスリング部のマットで汗を流した「仲間」のような感覚とのこと。仲間がオリンピックを目指すニュースに「心が躍った」と言う。
嘉戸さんは、増田の「現役時代は、本気になってオリンピックを目指すことはなかった」という言葉を伝え聞いても、「あのときの伊調選手は本当に強かった。そう思うのも無理ないですよ」と理解を示す。しかし、こうしてオリンピック挑戦の夢に挑む決心をしたことも、「強さなんだと思います」と言う。
そして「好きじゃなきゃ、できないし、やらないですよ。レスリングを好きになってくれることこそ、環太平洋大レスリング部が目指していたことです」と続け、楽しみな様子だ。
パリ・オリンピックを目指すため強化の必要がある増田だが、日本と違ってハイレベルの中で練習できるわけではない。オーストラリアでは、レスリング一筋のクラブはなく、総合格闘技の一部としてやっているところばかり。選手も柔術や他の格闘技との掛け持ちが多い。
全国大会でも、女子の出場は各階級1~2選手いればいい方で、エントリーなしの階級も少なくない。キッズの全国大会(20歳まで参加可能)でも120人の参加。国民性の違いなのか、日本と違って目標のために何が何でも頑張るという選手は少なく、マイペースで、気分が乗らなかったら練習に来ない選手も多い。大会が少ないので目標を持ちづらい。
そんな環境だが、レスリングへの愛情を認識させてくれた地。自分がオリンピックに出場することで、生活していくために助けてくれた周囲の人たちに恩返しがしたい。レスリングを普及させ、2032年のブリスベン・オリンピックに出場させて勝つ選手を育てたいという気持ちも芽生えている。
オリンピックの代表になればマスコミに取り上げてもらえるし、子供達がレスリングを知るきっかけにもなる。まず、自分がオリンピックのマットに立つ必要がある。
では、どんな練習をやっているのか。全日本女子オープン選手権出場で、あらためて体力のなさを感じたので、体力面を強化することが今の優先課題。理想はハイレベルの選手との練習の中で養っていくレスリングのための体力養成だが、それはかなわないので、ベースとなる体力づくりはしっかりとこなしている。
技は、今から多くを覚えられるものではないので、今までやってきたことの復習が中心。全日本トップ選手の試合の動画を見て研究する一方、アフリカ・オセアニア予選に出場が予想される選手の研究も怠らない。
同地域の62kg級は、2016年リオデジャネイロ・オリンピックでアフリカ女子初のメダルを獲得したマルワ・アムリ(チュニジア)が34歳にして今年のアフリカ選手権を制し、5度目のオリンピック出場を目指しているほか、ナイジェリアやアルジェリアの選手が要注意。徹底した研究で、アフリカ・パワーを防げるか。
仕事(寿司店でのパートタイムなど)もあり、年齢的にも、学生のときのようなハードな練習をやっていたら疲れが出て、けがもしやすくなるので、「無理をしないように、考えて練習しています」という毎日だ。
パリへ向けての挑戦は、ブレーキをかけでながらでも激しさを増していく。同時に、「オーストラリアに女子レスリングを根付かせたい」というもうひとつの夢も進行している。
《続く》