1964年東京オリンピックのグレコローマン52kg級チャンピオンの花原勉氏が2024年2月5日、入院先の病院(東京都杉並区)で死去されました。84歳。葬儀は家族葬で行う。
山口県下関市出身。山口・豊浦高時代は柔道の選手。体が小さかったため、当時、階級制ではなかった柔道では限界を感じて,日体大進学を機にレスリングへ転向。1960年全日本選手権52kg級で優勝。その後、数多くの強豪を生んだ日体大初の全日本チャンピオンに輝いた。
翌1961年は世界選手権に出場して6位。1963年は世界選手権の最終選考会で優勝しながら、外国選手に対する実績などで日本代表に選ばれない屈辱。それをばねに1964年東京オリンピックの代表となり、グレコローマンでは57kg級の市口政光とともに日本初のオリンピック金メダルを獲得した(時間的には市口の方が先)。1回戦から決勝までの7試合で失ったポイントは1点だけという圧勝の優勝だった。
その後、57kg級へ上げて1967年世界選手権で3位入賞。負傷で1968年メキシコ・オリンピック出場を逃したあと指導へ。日体大で高田裕司らの強豪を育て、1988年ソウル・オリンピックでは強化委員長として全日本チームを牽引し、2個の金メダル(小林孝至、佐藤満)を取らせた。
1992年バルセロナ・オリンピックでは長男・大介(警視庁)がグレコローマン57kg級へ出場。日本で初めてオリンピック出場親子となった。
2019年秋には瑞宝中綬章を受章。その後、闘病していた。