2月8日から始まった全日本合宿とNTS中央研修会(東京・味の素ナショナルトレーニングセンター=スポーツ振興くじの助成金事業)には、韓国の17都市から中学や高校の指導者が訪れ、日本の練習を視察した。外国選手が日本に来て練習に加わることは珍しいことではないが、20人近くの指導者だけが来日して練習を見学するのは、これまで例がないものと思われる。
韓国の復活を願う韓明愚・韓国協会副会長の発案。昨年9月の日韓高校交歓競技会で日本チームが韓国へ行った際に申し入れがあり、検討の結果、多くの世代の選手が集まる今回の合宿に来てもらうことになった。
要望を受けた田中秀人副団長(滋賀・栗東高教=同専門部副部長)は「高校でも日韓の実力が逆転し、これではいけない、という気持ちが伝わってきました」と、実現へ向けて努力。11月に韓国チームが来日したときに煮詰め、今回の受け入れとなった。「メモを取ったりして、熱心にやっていますね」と、韓国の要望を実現できたことに満足そう。
韓明愚副会長は、国士舘大など日本への修行を経て強くなり、1988年に地元ソウルで行われたオリンピックのフリースタイル82kg級で優勝した強豪選手。韓国の凋落を黙って見ているわけにはいかない。
韓国の低迷の要因を聞くと、まず「時代の流れ」を挙げた。昔は鉄拳もとび、選手の反発心に訴えながら強くなった。日本と同じで、それが許されない社会となり、その中でどう強化していくか。「今が境目の時期だと思います」と言う。
また、2002年に日韓共同で開催されたサッカーのワールドカップによって、若者はサッカーほかの華やかで金の稼げるスポーツに流れ、きつくて金にならないレスリングの競技人口がどんどん減っていった。
さらに、韓国協会の大スポンサーで、強化費を湯水のごとく寄付してくれていた三星グループからの支援が終わり、海外遠征の費用にも事欠く状況。選手の自己負担も増え、金のかからないスポーツを選ばれてしまうのが現状。
同国には本格的なキッズ・クラブはなく、中学生からシニアまでの競技人口が1,500人にも満たない。「日本はキッズだけで4,000人近くいると聞いています。その差が出ていますね」と韓明愚・副会長。金の工面をして、大挙して日本に来たのは、必死さの表れだろう。
日本も、地元オリンピックから30年たった1990年代は、世界選手権でのメダルに手が届かない状況となり、不振にあえいでいた。そこからはい上がって、オリンピックのメダルは“当たりまえ”の時代を再び迎えた。韓国も地元オリンピックから30年が経ち、今が一番苦しい時期のはず。同副会長は「必ずはい上がります」ときっぱり言い切った。