「日本で最も長い歴史を持つ大会」と言われている新宿区レスリング協会主催の「少年少女選手権/新宿キッズレスリングトーナメント」が2月11日、東京・新宿コズミックセンターで行われ、1都1府4県から昨年の「51クラブ434選手」を上回る「55クラブ519選手」が参加して行われた。
第1回大会は1987年だが、2002年に発行された「日本少年レスリングの歴史と未来」では、1972年12月にスポーツ会館で第1回ジュニアレスリング選手権が開催されたとの記述があり、これがルーツ。実質的に50年を超える歴史を持つキッズ大会であることは間違いなく、日本最長の歴史を持つ大会のひとつであることに疑いの余地はない(関連記事)。
今年は、諸般の事情でスポンサーが外れ、行政からの補助金もないので、運営経費は出場選手の参加料(3,500円×519人=181万6,500円)が頼り。4面マットをしいての体育館で500人規模の大会を開催するには、それだけでは間違いなく赤字となる。
だが、実行委員長として大会を切り盛りしている東京・SKキッズの吉澤昌代表(新宿区レスリング協会事務局長)の気持ちは揺るがなかった。コロナ禍の数年前から運営に携わり、昨年、委員長としての重責をになって、コロナで中止された大会を再開。「私の代で、スポーツ会館から始まったこの大会の歴史を途切れさせるわけにはいきません」と語気を強め、吉澤代表が経営する会社がスポンサードして大会を運営。昨年に続いて大会開催に尽力した。
新宿区は「レスリング発祥の地」という歴史的背景がある。日本で最初にスタートした早大があり、八田一朗会長のもとでレスリングの発展に寄与した財団法人スポーツ会館があった。日本レスリング協会の現住所も新宿区となっている。その意味で「この大会を途絶えさせることはできない」と言う。
「パンフレットやIDカード、参加賞など、経費をもっと切り詰められるのでは?」との問いに、「出場する選手にとっては、1大会ごとが思い出になる大会です。きちんとした形で残してやりたい」と話し、クラブ代表や保護者から「なんだ、この大会運営は!」と言われるような大会にはしたくなかったと強調する。
大会では、疲れ果てた選手がロビーや廊下、観客席で横たわるシーンをときたま見かけるが、いい光景ではない。そこで、別フロアも含めて6ヶ所の会議室などを借り、そこではシートをしいて寝転がることもOKとした。
そこも使用料がかかる。経費を切り詰めるなら、そこまでする必要はない。しかし、大会としての品位を保つことも必要。体育館から「レスリングに会場を貸すと…」などと言われない大会にする必要があった。
もちろん、無償ボランティアの協力者がいてこそ成り立つ。日本工大駒場中学・高校レスリング部や、同じ新宿区にある早大レスリング部とSKキッズ、ワセダクラブによるマット運搬や会場づくり、アカデミア・アーザほかのクラブの保護者による1時間交代の受付など、多くの人の協力で成り立った大会だ。
ただ、毎年赤字では、大会は続かない。昨年秋、新宿区レスリング協会の会長に就任した中根和広会長(元日本工大駒場中学・高校監督=元全国高体連レスリング専門部理事長)も「大会を絶やすわけにはいかない」と話す。
第1回大会から日本工大駒場高校レスリング部員を協力させるなど運営に協力してきた「思い入れのある大会」であり、「キッズレスリングの発展に貢献してきた大会」との自負があるからだ。継続のための大会のスポンサーを探すとともに、出場料を500円ほど値上げすることを理解してもらい、600人が集まれば“トントン”(プラスマイナス0)になるとの試算のもと、各クラブに理解を求めることも視野に入れている。
他に、ボランティアで協力してくれる人を数多く見つけ、主催者に負担のかからない大会を目指し、確固たる大会運営を目指す。
大会を見て感じたことは、以前はときたま見られた監督やコーチが負けた選手に手をあげることや、審判への暴言などがまったくなく、「どのチームもマナーを守って、気持ちのいい大会」ということ。
全国少年少女連盟の今泉雄策・前会長がそれらの一掃を目指し、全国大会ではマナー委員会をつくって厳しく律してきたことの成果が、間違いなくこうした地方大会にも表れている。観客席やロビーで横になる選手がいなくなる環境づくりとともに、世間から後ろ指を差されないスポーツへの道は、順調に進んでいる。中根会長は、キッズ大会発祥のこの大会が、「それらの手本になるように」と望んだ。
スポンサーを失う荒波に直面しながらも、昨年より85選手も増えた大会。来年からはフロアが広くて観客席も多い会場に移して開催予定とのこと。日本で最も歴史のある大会は、困難に屈することなく前進を続ける。