男子8階級で2024年パリ・オリンピック出場枠獲得へ挑むアジア予選(4月19~21日、キルギス・ビシュケク)。敗者復活戦はなく、上位2選手のみが出場枠を手にできる過酷な闘いだが、昨年9月の世界選手権で出場枠を獲得した国の選手は出場しないので、通常のアジア選手権より間口が広い。
その中でも、男子フリースタイル86kg級はイラン、カザフスタン、ウズベキスタンが抜けており、いっそう有利な状況となっている。挑むのは石黒隼士(自衛隊)。昨年12月の全日本選手権でオリンピック4度連続出場を目指す高谷惣亮(拓大職)を振り切り、必死の思いで手にした予選出場権だ。
その代償は大きく、試合のあと約1ヶ月は気持ちが盛り上がらなかったという。「本当の目標は、そこではない」と言うのは、あまりにも酷だろう。高谷は弟(高谷大地=男子フリースタイル74kg級)がオリンピック出場内定をすでに勝ち取っており、燃え方は半端ではなかった。お互いに負けたら後のない闘い。執念の塊(かたまり)だった相手との一戦は、今回の全日本選手権屈指の死闘だった。
その試合を勝ち抜き、「時間は限られている。アジア予選へ向けてやらなければならない」という思いはあったものの、すぐに立ち上がることはできなかった。「今でも、高谷さんとの試合の夢を見るんですよ。負けている状況だったり、もう一回試合をやらなければ予選に出られない、という状況になっていたり…」。
ただ、いつまでも“燃え尽き症候群”だったわけではない。徐々に気持ちが戻り、1月中にはパワー全開の練習ができるようになった。課題はタックルからの処理。2月末、運良く元全日本コーチのセルゲイ・ベログラゾフ・コーチが米国とサンマリノのトップ選手をつれて来日し、自衛隊の合宿に合流。外国選手を相手にする機会に恵まれ、いい流れをつくれている。
パワーのある外国選手には、ひとつの場面での練習(技を掛け合う練習)ではなかなか勝てないのが現実。しかし、試合は面の闘いではなく、6分間の“線”での勝負。その中での仕掛けでは、けっこうかかると言う。「レスリングの面白いところなんでしょうね。そこが自分の強みでもあるのかな、と思います」と、総合力での闘いなら、やっていけるという感触を持っている。
来日した世界3位のマイルズ・アミン(サンマリノ)は、昨年2月の「ザグレブ・オープン」で石黒が勝っている相手だ。東京オリンピックでは3位に入った選手。当然、自信にはなったが、アミンが3位に入った世界選手権で上位に行けず、実力不足を痛感した。それでも、今回練習してみて、大きな実力差を感じることはなかった。
この階級は、デービッド・テーラー(米国)とハッサン・ヤズダニチャラティ(イラン)が東京オリンピックを含めて激しい世界一争いを展開。2人が抜きん出ていることは間違いないが、3番手以下は横一線との感触。石黒が世界選手権で負けたヤブライル・シャピエフ(ウズベキスタン=アジア大会3位)も、勝てない相手とは思っておらず、2強へ挑む立場に立てる選手は、自分を含めて多くいると感じている。
アジア予選は、ヤズダニチャラティを含めて3選手が出ない状況。出場が予想される中国とモンゴルの選手には、昨年のアジア選手権でテクニカルスペリオリティ勝ちしているので、かなりの自信を持って闘える。それでも、「インド、バーレーンが強い。チャンスだけど、自分の100パーセントの実力を出さないと勝ち抜けない」と気を引き締める。
激闘を展開した高谷からのエールは心に響いている。今年になって自衛隊に練習に来たことがあり、「本当にオリンピックのことを思い、執念を持つことが、オリンピックにつながる」というアドバイスをもらった。石黒は「オリンピックへの強い思いを持つことが必要なんだと思います」と肝に銘じた。
東京オリンピックへ向けての高谷の闘いは、執念と意地がゆえの出場枠獲得だった。アジア予選は準決勝で中国選手に敗れたが、最後は7-7まで追い上げての無念の惜敗。最終予選では、2回戦で2018年世界選手権3位のタイムラス・フリエフ(スペイン=元ロシア)にラスト16秒に逆転され、万事休すかと思われたが、最後に場外に出して再逆転勝利。そのシーンは、石黒の脳裏にもしっかりと焼き付いている。
「本当に強い選手でした。惣亮さんが壁となっていたから、ここまで来られました」
3年連続で世界選手権出場を果たした兄・峻士は、残念ながら予選出場を逃したが、選手活動は続行し、次へ向けて一緒に頑張ることを話し合った。「ずっと兄を追ってやってきました。今回は自分が代表してオリンピックを目指します」。兄の無念を背負って決戦の地、キルギスへ向かう。