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2024.03.19

【特集】エクアドルに日本レスリングの強さを伝授する! 日体大でレスリングを学んだ山﨑幹太郎さん(長野・小諸高~法大OB)

 

 発展途上国へ技術・知識・経験を伝える青年海外協力隊(JICA)。毎年のようにレスリングの指導者がアフリカや南米などに渡り、日本のレスリングを伝授している。今年10月には、長野・小諸高~法大でレスリングの基礎を学び、卒業後、日体大でハイレベルの技術を学んだ山﨑幹太郎さん(3月まで日体大大学院)がエクアドルへ向かう。

 セネガルでの指導の募集もあったが、すでに日本から行った人がいる国。エクアドルは、だれも行ったことがない。山﨑さんは「パイオニアの方がいいじゃないですか」と、選んだ動機を話す。現地で話されている言語はスペイン語。「まったく話せません。募集条件は『言語問わず』でしたから」と笑う。

▲日体大大学院に通いながら最強チームのレスリングを学んだ山﨑幹太郎さん。10月、エクアドルへ向かう

 異国での生活に「不安はありますが、自分自身が成長できるかな、という期待があります」というのが現在の心境。派遣前の約2ヶ月間、JICAによる集中的な語学研修があるが、それまでに最低限度の会話ができるようにと、勉強を始めたという。

 大学時代に国際協力の勉強をしており、その頃から外国に関心があり、JICAの存在を知ったのもその頃。しかし、当時は自分が参加することになるとは思ってもいなかったそうだ。

「学んで、考えて来たことを伝えたい」

 エクアドルのレスリング選手といえば、昨年の世界選手権・女子53kg級でルシア・イェペス藤波朱理(日体大)から5点を先制。一時は「どうなることか」と思えるほど追い詰め(最後は藤波のフォール勝ち)、日本の関係者に強烈な印象を残した。山﨑さんも、そのことは知っていた。

 全体として見ると、最近、やっとパンアメリカン地域で上位入賞が目立つようになった状況。イェペスの世界3位は、エクアドルのレスリング史上、男女を通じてシニアの世界選手権で初のメダル獲得。世界へ飛躍するのは、これからだ。

 山﨑さんは「(自分は)ずば抜けた実績や技術があるわけではないけれど、学んで、考えて来たことを伝えられればいいかな、と思います」と話す。選手活動にはピリオドを打って指導に回るため、今は「どんなふうに教えたらいいか」などを考えながら、マットで汗を流し、出発の日を待っている。

▲グレコローマン専門選手と同スタイルの練習機会にも恵まれた。エクアドルで役に立つことだろう

法大時代、小島豪臣コーチの指導に衝撃を受けた

 長野・佐久市クラブで5歳からレスリングを始め、小学校3年生の2005年に全国大会で優勝するなど4年連続でメダルを獲得。ブランクが多少あったが、長野・小諸高でレスリングを続け、インターハイ・ベスト8、全国高校グレコローマン選手権5位などの実績。昨年のアジア大会優勝の長谷川敏裕(東京・自由ヶ丘学園高=現三恵海運)と同期生になる。

 高校時代の指導者は、日体大出身で世界選手権出場の経験もある森角裕介監督。そのルートで日体大という選択肢もあっただろうが、レスリング一筋という気持ちはなく、その後を考えて総合大学の法大を選んだ。「東京六大学のブランドに引かれた?」の声には、肯定も否定もなかったが、この時点では、レスリングとともに生きると考えていなかったことは確かだ。

 入学(2014年)と同時に、全日本選手権優勝、世界選手権出場、アジア大会2位などの実績を持つ小島豪臣さん(日体大OB)が法大コーチに就任した。2012年ロンドン・オリンピックで金メダルを取った米満達弘・現自衛隊コーチの“壁”でもあった選手。レスリング理論は卓越していて、それに引きずり込まれたという。

▲山﨑さんの人生に大きな影響を与えた法大・小島豪臣コーチ(当時)

安定した国家公務員の職をやめてレスリングを追求

 「小島さんの指導を受け、スパーリングの相手をしてもらって、衝撃を受けました。楽しそうにレスリングをやる、というか…」。きつくて苦しいイメージが強く、実際にそうした面がある格闘技だが、楽しそうに汗を流す小島コーチの姿は、山﨑さんのレスリング人生に大きな影響を与えた。

 もちろん練習はきつかった。同コーチはいったん現役を退いたあと、2016年リオデジャネイロ・オリンピックへ向けて復帰し、2015年世界選手権70kg級に出場。当時も全日本のトップ選手だった。その指導についていけば実力はつく。最終学年の2018年に東日本学生選手権で春秋の連続優勝。春季の優勝は法大初のチャンピオン。その実績で憧れだった全日本選手権へ初出場し、1勝をマークした。

 「訳の分からないうちに終わってしまった」と言うが、「4年間やってきて、少しは報われたのかな」という気持ちだったと言う。ここで選手生活を引退。国家公務員で社会人生活をスタートした。

▲2018年東日本学生秋季選手権で優勝した山﨑さん

 しかし2年後、「本当にやりたい仕事とは違う。いろんなことにチャレンジしてみたい。安定した人生より刺激のある人生を」として退職。実家でアルバイト生活をしながら人生を考え、行き着いたところが「もう少しレスリングを突き詰めたい」という気持ちだった。

 「本当のレスリングを知らずに終わってしまった。もっとできたんじゃないかな…」。そんな心残りを払拭すべく、恩師(森角裕介監督)の母校・日体大の大学院に進んでレスリングを追求する道を選んだ。スポーツ科学などを学ぶなら、選択すべき大学は多くあるが、レスリングを突き詰めたい思いを晴らすため、選んだのが日体大だ。

日本の本格的な国際化の扉を開ける!

 大学院生ということで、練習前後の集合ではコーチと同じ列に並ぶが、練習は学生と同じ立場。現役学生選手でも飛び込みづらい強豪チームに、3年以上のブランクのある選手が挑むのだから、相当の覚悟だっただろう。予想通り、いや予想以上のきつさ。「練習がきつくて、勉強どころではなかったです」と、入部当時を思い出して笑う。

 それでも、世界トップ選手も汗を流す場での練習で実力はアップ。この2年間で全日本社会人選手権3位、全国社会人オープン選手権2位、全日本選手権7位などの成績。「優勝が目標だったので、ちょっと悔いは残りますね。でも、悔いがまったく残らない人生を歩める人は、少数なんじゃないでしょうか」と、実りのあった日体大時代の2年間を振り返った。

チームの練習が終わったあとも技の研究を続ける山﨑さん

 エクアドルで、どんな指導をやり、どんな選手を育てるか。2年間の任期を終えたあとのことは、まったく未定だが、「今までレスリングを続けてこられたのは、いろいろな人に助けてもらったおかげです。受けた恩をレスリングを通して返していきたいという思いもあってJICAへの応募を決意しました」と話すだけに、南米での経験を日本レスリング界に還元してくれることが期待される。

 JICAによる発展途上国でのレスリング指導は、これまでにも多くの人が経験している。加えて今年は、米国の大学へ進んでレスリングを続ける予定の選手が2人おり、国籍を変えてオリンピックを目指す選手も2人。日本レスリング界の国際化が、急速に進んでいる感がある。

 世界へ飛躍する日本レスリングを牽引すべく、グローバルな活躍が期待される。







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